1月30日(金)に都内で弊社お得意様ご主催の講演会で野口健先生の「目標を持って生きることのすばらしさ」と題しての講演を聴いてきました。
初めて日本に来たのが幼稚園の時。
当時はこんな顔は珍しく今でもそうだが「ハーフですか?」と訊かれた。
父親は日本人だが母親がややこしく、母方の祖母はフランスとギリシャのハーフ、祖父がエジプトとレバノンのハーフ。
ですから答えるのが大変なので「雑種です」と答える。
当時外人が来たといじめられ幼稚園に行きたくないと朝布団から出ないで寝ていると、母ちゃんが布団を引っぺがし、幼い野口氏の股間についているモノを掴み、ギューッと捻りながら引っ張る。そして日本語が上手ではなかったので「あなたいじめられる、いじめられて逃げる、逃げるあなた男じゃない、男じゃないあなたチンチンいらない」と訳の分からないことを言われたが本当に取れるんじゃないかと思うくらい痛かったので仕方なく幼稚園に行った。
その後小学校で勉強ができず落ちこぼれ、中学1年で先輩を殴り鼻をへし折り2ヵ月の停学。
お決まりの不良コースまっしぐら。
その停学中にフラフラしていてフラッと入った書店で植村直己氏の『青春を山に賭けて』が目に留まった。
山に興味は全くなし、植村直己氏のことも知らなかったがこの本に何かピーンとくるものがあったので手に取り買ってみた。
読んでみて植村氏が日本人として初めてエベレスト登頂を果たし、世界で初めて五大陸の最高峰の登頂をされた世界的な登山家だということを知った。
その著書の中で直己さんが「私は人並み以下」でなかなか就職もできずフラフラしていた時に山が好きだったのでこれだけは続けようと船でアメリカに渡り、仕事をしながらお金を貯めてはヨーロッパへ行ったりしながらコツコツ山を登っていた。
日本人初とか世界で初とかという大きな野心を抱いていた訳ではなく、今自分で出来ることは何だろう?とやれることをとにかくコツコツとやり続けた結果日本人として初めてエベレスト登頂を果たし、世界で初めて五大陸の最高峰の登頂を成し遂げた。
停学中のお先真っ暗の状態の時にこの本に出会い、コツコツやり続ければ自分も何か出来るのではないかという一筋の光明を見出した感があり、「山ってなんなんだろう?」と救いを求めるかのように山にのめり込んでいったのが15歳の時。
そして高校時代にモンブランとキリマンジャロに登り、当時登頂した高校生はいなかったのでちょっと注目され、それまでに他人に評価されたことが無かった自分の家までわざわざ新聞記者が来てくれて取材されていると横からお父さんが入ってきて「まるでウチの倅が立派なことしたかのように皆さんは訊きますが、確かにコイツは高校生で初めてモンブランとキリマンジャロに登ったかもしれないがヨーロッパやアフリカに行く旅費は俺が払ってるんだから」と。
さらに「モンブランとキリマンジャロ登頂はコイツの成功じゃなくて、お金を払った私(お父さん)の成功なので、そこをちゃんと記事に書いてもらわないと」と力説していた。
よほどお金を出したことを言いたかったらしい。
この後冒険にはお金が掛かるので自分で集めるよう父親にも言われ、自身もそう思い、集め方がわからないので兄に訊き様々な方法を模索しながらも失敗続きだったが何年もかけてやっと23歳の時に一千数百万円集めてエベレストへ行くことになり史上最年少での七大陸制覇へ王手をかけ記者会見。
生まれて初めての会見。
もの凄い緊張の中一番多い質問が「自信はありますか?」。
内心は行った事が無いのである訳ない。
何度も登った今も自信は無い。
その会見では二人目までは有耶無耶にしながら何とか誤魔化していたがさすがに三人目は許してくれず「自信があるのかないのかYESかNOかで答えて」と言われ、自信が無いとは言えずに逆切れ気味に「ない訳ないじゃないですか!あるから行くんです!」と心の中では「あれっ!?言っちゃった」と言う感じで言ってしまった。
8000m級の山は一気に登ると高山病で命を落とすので、いくつものキャンプを張りながら徐々に体を慣らしながら登る。
1ヵ月半くらいかけてゆっくり登るのだが第三キャンプぐらいで頂上が結構近くに見え、シェルパに「行けるか?」と訊くと彼らは薄い空気に慣れているので「大丈夫じゃないですか」とすぐ言う。
それに乗せられて一気にカタを付けようとすると大変なことになる。
シェルパは先に行き後からついて行こうとすると脳が酸欠状態になり意識が朦朧とし眠くなり眠ってしまった。
シェルパは何時間経ってもケンが登って来ないので下りて見に来た時には酸欠のショック状態で口から泡を吹き、その状態を見たシェルパは力一杯殴った(らしい(翌日顔がアザだらけでわかった))血中酸素濃度計で測り「43」という数値、これは死んでなきゃいけない数字。
そのさなか3人のシェルパが引きずるように下山させてくれた。
脳が壊れたと思った。
初めてのエベレストは一言で言うと素人の大失敗だった。
だがこの失敗で何が足りなかったか、次は何をすべきかが否が応でも見えてきた。
翌年二度目のエベレスト挑戦。
8500mを越えた所まで順調に来て「貰ったな、よし」と思ったら晴天が猛吹雪に変わった。
あと残り300m、一緒に登っている相方とお互いに「行く?下りる?どうする?」とジェスチャーで「行くか、下りるか」の思案を1時間くらい繰り返し、最終的に彼は「行く」、自分は「下りる」という決断を下した。
これも登頂できなかったという観点からすれば失敗。
この時にキャンプに戻って考えたことは頂上目指して行った彼に無事に下山して欲しい思いと登頂に成功して欲しくない思いが交錯。
平たく言うと無事に遭難して無事に帰って来て欲しいという相反する思い。
結果彼は他の隊に奇跡的に救助されたが両手両足の指は壊死し、ほぼ全ての指を切断し失明状態。
この時の判断は間違っていなかったと思った。
つまり成功ではないが失敗でもない、と。
何が成功で何が失敗か?
世間からは登頂すれば成功、出来なければ失敗、さらに無理はしないでと言われるので厄介。
二度の失敗で「何が何でも」という考え方は捨てようと考えるようになった。
するとなぜか気持ちが楽になった。
そして三度目で登頂に成功。
帰国後の記者会見で記者から「今度は厳冬期の真冬のエベレストに行きませんか?」と言われ内心「お前が行けよ」と思ったが不思議とその期待に応えようとする自分もいる。
自分の中で一番大きかったことはエベレストで「何が成功で何が失敗なのか」ということに向き合い、人生成功ばかりでも失敗ばかりでもないという所に行きついたこと。
そして皆が憧れる彗星の如く現われ一気に頂点にたどり着いた人は落ちるのも一瞬。
やはりじわ~りじわ~り、コツコツ土台をしっかり作りながら一歩一歩確実に歩みを進める方が結果的に良いのではと思う。
富士山の清掃活動も最初は100人でスタート、4~5年で500人位までに増え、今では7000人も来てくれるようになったそうで、これもコツコツ続けてこられた成果。
一つの事を長く継続していると飽きてくるし辛くもなる。
新しいことは新鮮で興味も湧き確かにやる気にもなるが、長く続けることこそが大切だと思うと結ばれた。
野口先生のお話はユーモアもあり、多くの失敗を繰り返す中でわずかな成功を掴むという繰り返しの人生だなぁと、ありがちな自慢話のオンパレードの逆でとても興味深く楽しく聴かせて頂きました。
講演後に質問も受けられ丁寧にお答え下さり90分の講演が2時間を遙かに超えてしまいましたがあっという間でした。
この後植村直己さんの奥様と植村直己さんの行き付けだったお寿司屋さんで待ち合わせてお食事だと言われ会場を後にされました。
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