小学生から水泳を始め、ジュニアオリンピックに出場。
水泳コーチの勧めで18歳の時にトライアスロンデビュー。
20代になると伸び悩み、世界大会も最下位でシドニー五輪出場を逃す。
それから8年後の2008年、北京五輪に出場。
2012年アジア選手権で3位になるも、シーズン序盤から重ねたポイントでロンドン五輪を手中に収めていたが、最後の選考レースとなったマドリード大会でライバルが8位入賞を果たし、ロンドン五輪を逃した。
2012年9月、気持ちを切り替えロングディスタンス日本選手権に初出場し、初優勝を飾った。
ショートディスタンスとの2冠は史上2人目の快挙である。
2016年リオ五輪の出場を目指していたが、男子は代表枠を1つしか獲得できず落選。
次回東京五輪に向けて自身の新たなスタートを切り出しつつも、リオ五輪女子代表の佐藤優香のトレーニングパートナーを務めるなど、次世代の教育にも大いに貢献している。