7月9日(水)に都内で弊社顧客様ご主催の講演会で小倉智昭先生の「小倉流 楽しく生きる処世術」というテーマでの講演を聴いてきました。
登場の際の拍手に「EXILEでもないのに盛大な拍手で迎えて下さり、ありがとうございます。」という一言で軽く笑いを取り、「皆さんに何を聴きたいかアンケートを取ったら番組の裏話とか、誰と誰が付き合ってるとか面白い話が聴きたいと。ツイッターやフェイスブックをおやりになってる方がいらっしゃったら今日は勘弁して下さい、裏話ですから。」と釘を刺されスタート。
取捨選択が非常に難しいのですが私の判断で大丈夫(?)なものだけ書きますが、もしかしたら小倉先生にとってはマズいことも・・・と思いながら。
看護師で助産師だったお母さんが「産まれるから!」と、お母さんの指示通りお父さんが取り上げられたこと、食べられなかった秋田の子供時代のこと、どもりで(今でも気が緩むとどもるそう)苦労したこと、TV東京(当時は12チャンネルと言われていた)の最終面接で「なぜアナウンサーを志望したのか?」と訊かれ「どもりを子供の頃から馬鹿にされ悔しくて受けました」と答えて採用された。温情だったのかもしれない。その頃「た」行がどもっていた。当時総理大臣が田中角栄氏でニュースを読む時「んっ・・田中総理大臣」というように変な間があって読んでいると時間が足りなくなって少ない秒数の中で無理矢理原稿の文字数を入れようとして超早口で読み、息継ぎが上手くいかず気を失い先輩に「どうした?」と訊かれ「どもりで」とは言えないので「朝から39度の熱があって」と答えると小倉は入社したばかりの新人なのに高熱を押して仕事をやり意識朦朧としている中、最後まで時間通りにニュースを収めたと言われ“伝説の男”になり評価が高くなった。というように私の人生いい加減なんです、と。
競馬中継をやり早口で日本一と言われ、この頃は「か」行がどもり、強かった馬に「カネミノル」や「カネイコマ」などがいて実況をやっている時先頭に立つと言わない訳にはいかない。どうしたか?苦肉の策で「郷原右にうち飛んだカネミノル」などとジョッキーの名前や馬の脚色、動きなどをプラスして馬の名前を言う実況をやった。そうしたら「天才」と言われた。
後に大橋巨泉氏にニッポン放送の競馬の総合司会をやらないかと声を掛けてもらい、「大橋巨泉事務所に入ってタレント司会者としてやっても、ニッポン放送のアナウンサーでやってもいいよ」と言われどっちが条件的に良いか聞くと「歩合制のタレントになれば働いただけ貰えるから」と大橋巨泉事務所に入ったら土日の競馬以外仕事が無い。対する巨泉氏は多くのレギュラーを持ち1本の番組のギャラを300万円貰っていた。その巨泉さんが初めて引き抜いたタレントだと公言していた「小倉智昭」に仕事を回してくれるのかと思っていたが「他に能力があるなら使ってやるが競馬で取ったのだから今は一生懸命競馬をやれ」と言われ仕事はくれない。確かに土日の競馬だけやってサラリーマン時代の給料くらいは貰っていたが、当時様々な個人的な事情があり給料をもらうと2日後には無くなるので年中事務所に前借りしたり持っている物を質屋に入れたりして8年。この間電気、ガス、水道全て止まったこともあった。水洗トイレには困ったが近所の公園で済ませたりした。
そういう時期を経て大橋巨泉の『世界まるごとHOWマッチ』のナレーションを務め、番組内でも「小倉は、小倉は」と言ってくれたのでナレーションだけのギャラが森重久彌氏や石坂浩二氏と同じ位まで上がり、顔も出して司会もするようになったが司会のギャラがナレーションより安かった。「俺は顔を出したら安いのか」と思ったこともあった。
今は月曜日から金曜日まで番組を35年くらい続けている。半ばサラリーマンのような生活だが「とくダネ!」の日は築地の河岸に行く人よりも少し早い朝3時に起きて、5時に自宅を出るまでに糖尿病なので血糖値測ったりインシュリン打ったりやることが一杯ある。「とくダネ!」の視聴率の話、実名は内容的に出せない同業の二人のMさんやTさん、Fさん、Kさん、Sさんの話、「とくダネ!」歴代アシスタントの話、辛うじて披露できそうなネタは皆と雑談している中で「日本の裁判は3回(地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所)あるからな」という話をしていたら菊川怜さんが「えっ裁判って3回あるんですか?」と訊くので「東大ではそんなことは習わないの?」と聞き返すと「ええ、私はセメントの方ですから」と答えた。わからないことを恥ずかしがらずに人に訊ける所が凄い。決して計算して笑いを取っている訳ではなく、結果的に笑いを取ってしまう。他にも彼女の面白い話はたくさんありましたが申し訳ございません、書けません、お察し下さい。
交友関係の話。
安全地帯の玉置浩二氏とのこと、彼のメールの最後には必ず「愛してます」と入っている。彼は誤解され易いが小倉氏の言葉を借りれば「才能あふれるとってもイイ奴」。ただ芸能界という所はなかなか正当に評価されない。往々にして良い人が悪い人になったり、その逆になったりすることが多いような気がする。
今年15周年を迎える「嵐」のメンバーとのこと。事務所の教育が行き届いているのかジャニーズ事務所のタレントさんたち皆に共通する礼儀正しさが彼らにも備わっている。
メンバー全員とても仲が良くどの番組でもコンサートでもいつも控え室は大部屋で一緒、座る場所まで決まっている。普段仕事を離れるとメンバー同士はご飯食べたり、遊びに行ったりということはしないが、一緒に番組をやっている時には小倉氏が音頭を取りメンバー全員とゴルフやカラオケに行った。「嵐」はカラオケでも「嵐」の曲を振り付きで歌う。
コンサートに行ったことがあればわかるがスクリーンに歌詞を出す。これは歌詞を忘れることがある相葉君のため。
小倉氏の経営する中野坂上の焼肉店に二宮君は時々来てくれる。まだ店の隣にコインパーキングがあった頃、「今駐車場なのでこれから行きます」と電話があって15分後に来店。「遅かったね、車どこ駐めたの?」「歩いて15分位のコインパーキングです」「隣空いてなかった?」「おぐさん(小倉氏のこと)とこの隣の駐車場は高いから」と言う実にしっかり者。
相葉君の実家は幕張の方で中華料理屋をやっていて、幕張近辺でイベントなどがあるとよく寄る。他のメンバー曰く「旨いのは春巻きだけ」、でもそんなことはない、安くて美味しい。相葉君にそっくりなお兄ちゃんとご両親でやられている。ジャニーズ非公認(?)の“相葉ちゃんグッズ”の販売もしている。
ハワイでデビューした「嵐」。リーダーの大野君はハワイに行く前、辞めてコンビニの店員になろうと真剣に考えていた所に「最後だから記念にハワイに連れて行ってやるよ」とジャニーさんに言われ、ホノルルに着いて今までバラバラに活動していてお互いを知らない5人が集められて「君たち今日から“嵐”だから」と言われデビュー。「とくダネ!」が始まった年にハワイから中継をやった。
最後にお世話になっている大橋巨泉さんのこと。
結婚の時の媒酌人。奥さんの大学卒業を待って結婚。挨拶で「14歳(巨泉さんと奥さんの年齢差)まではまともな結婚だが15歳(小倉氏と奥様の年齢差)は“幼女誘拐”」と言った。
また、主賓に当時12チャンネル(現TV東京)のお世話になった局長にお願いしようと思って相談したら、「HOWマッチやってるんだからTBSの編成局長だろ」と言われ、一度も面識も無いのにご招待して主賓の挨拶をして貰ったら「僕は一度も小倉君に会ったことがありません。何故披露宴に呼ばれたのか意味すらわからない」と言われた。
そうこうあって巨泉さんから「(披露宴が3時間を過ぎ)長いから中締めの挨拶をしろ」と言われ「結婚披露宴で中締めってあるんですか?」と聞き返すと「みなさんお忙しいだろうから」と言われ仕方なく中締めの挨拶をした。幸い500名ほどのお客様は皆さんお帰りなられる方もなく無事お開きとなり、出口の金屏風の前でお客様のお見送りの時に何と巨泉さんではなく同じ顔をした事務所の社長でもある弟さんご夫婦が並んでいたので「巨泉さんは?」と訊くと「(披露宴が長いから)帰った」、と。
くれぐれも今日の話は、ね、よろしくお願いします。と思いきり“口外禁止”をお願いされ講演を終えられた。
書けないことがたくさんあり過ぎて大変申し訳なく思いますが、そこをお知りになりたい方は是非ご依頼頂き100%モザイク無しの講演をお聴き頂ければと思います。
さすがに飽きさせずに楽しい90分でした。
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