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『オススメ講師』宮田修先生の講演を聴いてきました2015/03/30

1月23日(金)に都内で弊社の長きに渡るお得意様ご主催の講演会で宮田修先生「アナウンサーが神職になって」と題しての講演を聴いてきました。

目を瞑って聴いてもとても67歳とは思えない若々しいお声で、現役時代そのまま。

現役のアナウンサー時代に神主になってしまい自身も驚いている、とスタート。

苗字が宮田で“宮”が入っているので神社の生まれと思われがち。
『社家(しゃけ)』についての説明。(割愛)
もちろん社家の出でもない。
ではなぜ神主に?

アナウンサーという職業は顔と名前が知られている分大変ストレスが溜まる。それで20年以上前に千葉の友人にお願いして週末ぐらいはのんびりしたいからとセカンドハウスを探して貰ったら、何と敷地500坪、母屋は江戸時代末期にできた本当の古民家で広々とした素晴らしい家。
しかも一番気に入ったのが家賃。
何と月1万円。
即決。

以降週末ごとに奥様を連れセカンドハウス通い。
家庭菜園で農作物を作り田舎暮らしを楽しんでいた。

古民家の隣に大家さんが奥様とお義母様と3人で住んでおられ、この方がこの地区の神主さんでこの方に子供が無く跡継ぎを探しておられ、隣に住んでいる宮田氏に白羽の矢が立った。
ある日奥様とお義母様が来られ「宮田さん、跡を継いでくれ」と頼まれ、もちろん神社のことも何も知らないので断った。
すると神主について説明します、と3つ。
1)定年が無い。
2)神様には頭を下げるが、それ以外はいつも上座に座りふんぞり返っていればいい。
3)小高い所に神社があるので階段を昇れればいい。昇るのが辛くなったら氏子が支えてくれる。
そして最後にこの地区に神主がいなくなると神社でお祭りが出来なくなり皆が困るので“人助け”ですから神主をやって下さい、と言われた。
こう言われてはもう引き受けるしかないとOKして神主になった。

当時はまだNHKの53歳の現役アナウンサー。
毎日通えないので色々調べて唯一通信教育で資格が取れる大阪の学校を見つけ入学。
いざ入ってみると勉強が実に面白い。
初めて自主的に勉強した。

神主になる為の勉強とは日本人が「命とは」「働くとは」「ご近所(共同体)とは」「自然とは」ということをどのように考えてきたかを会得すること。
他宗教のように経典や経本などがないので古事記、日本書紀、万葉集といったもので学ぶ。
例えば「働く」ということは日本人にとっては、働くことで弥生時代以来米を収穫し食べることができ、近年はお金まで頂けるという「喜び」。
西洋で「働く」ということはアダムとイヴが禁断の実を食べたことによる「罰」。だから彼らはいかに手を抜き楽してお金を稼ぐかを考える。
日本人とは根本的に違う。

神主の勉強をすることで見えてきたものがたくさんある。

また、「命」を日本人が伝統的にどのように考えて来たかを知った時にハンマーで殴られたかのような大きなショックを受けた。
戦後教えられてきたことと全く違った。
戦後「人間の命は大変尊いものである」と教わった。
地球よりも重いかもしれない、だから命を大切にして自己確立をしなさい。
そしてあなたは一個の独立した人格だ、だから親は親、子は子、それぞれ別人格なのだと。
では神主の勉強で「命」をどう教えられたか。
自分はどうして生きているのか、それは父親と母親がいるから、その父親と母親はどうして存在しているのか、祖父と祖母がそれぞれにいるから、ではその祖父と祖母はどうしているのか、曾祖父と曾祖母がいるから・・・と日本人はずっと考えてきた。
一個の命は親、祖父母、曾祖父母・・・・と2、4、8、16、32、64、128、256・・・・と無数の命があったから今ここに一個の命がある。
これら逆ピラミッド状の網の目の中の命の中でたった一つ欠けても自分はいない。
なぜなら命が繋がらないから。
このように日本人は考えてきた。
大人になると普通は結婚する、そして子供を持ちやがて子供が大人になると同じように結婚し孫が出来る。
こうして命が繋がっていく。
命と言うのは先祖から両親を通じて自分へ伝わり、子孫へ伝わっていく、そういう「命の連続の中の私達は今を生きている」という風に考える。
これを「中今を生きる」という。
先祖や親がいたから私がいる、だから親を敬いなさい、先祖に感謝しなさいと日本人は教えてきた。
でも今は祖父母や曾祖父母のことを知らない人がたくさんいる。

中学校で講演を頼まれると生徒さんたちに「皆さんは誕生日のお祝いってやってもらっているでしょ?誕生日にはお母さんが美味しいものを作ってくれるでしょう、お父さんはケーキを買ってきてくれるでしょう、その時にパパ、このケーキじゃなくて・・・などと不平不満言っていませんか?」と訊く。
そして「皆さんが誕生日を祝ってもらうことは間違いだと思いますよ」と言う。
すると皆キョトンとしている。
このあと「皆さんが生まれた日の事を考えてみましょう。お母さんが自分の命が失われるかもしれないという非常に危機的な状況の中で皆さんを産んだんですよ。お父さんは朝から仕事が手につかなかったでしょう。両親はその中で子供の誕生を喜ぶ。だとすると誕生日はお祝いをしてもらう日ではなく、両親、特にお母さんにお礼を言う日ではありませんか?」と話をする。
終わると学校から生徒さんたちの講演を聴いた感想文が送られてくる。
他にもたくさん話をしているにもかかわらず90%以上の生徒さんが「誕生日」の話を書いている。
そのほとんどが宮田先生の言う通りです。次の誕生日からはお祝いされるのではなくきちんと両親にお礼をします。産んでくれてありがとうと言います、と。

今住んでいる所は千葉の田舎なので農作物を作り都会に住んでいる子供たちに送っている人が大勢いる。
その方たちに家にあるご先祖様方の写真(遺影)をコピーして名前とどういう人かを書いて野菜なんかと一緒に送息子や娘に送ってあげなさいと勧めている。
すると「何で写真送ってきたの?」と言われるから「いいから何も言わずに家のどこかに掲げておきなさい」と言いなさいと氏子さんたちに言っている。
その後孫が生まれ2、3歳になった時に写真を見て必ず「この人は誰?」と質問するでしょう。
その時にこの人たちから私達(両親)に命が伝わり、あなたに伝わったということ、命は連続していることをその子は2、3歳になった時に自覚する。
そのことが大事だと氏子の皆さんに言っている。

NHK時代の話、自身の実家の話、千葉県の有識者会議の話など盛りだくさん。

神主の資格を取得し1年も経たない内に大家の宮司さんは跡取りが出来たと安心したかのように亡くなられた。

講演後、アナウンサーが神職になったのも何かの縁、伝え手として日本人の素晴らしい考え方や伝統を正しくお伝えすることが使命だと思っていると仰った。

池上彰先生の「グローバルとは何か」という最先端の講演を聴いた直後に宮田修先生の「命とは」、「働く」とはという対極に位置するかのような日本人の根幹を成すアイデンティティについて再考させられた内容の講演、そして奇しくもNHKご出身のお二方の講演を役得とはいえ聴くことができ、とても幸せな一日でした。

非常にコストパフォーマンスに優れ内容も秀逸、歯切れ良い聴き易い声。
人気もありお勧めの講師です。

高英起先生の講演を聴いてきました2015/01/26

11月27日(木)に埼玉県内で弊社お得意様ご主催の講演会で高英起先生「謎の国・北朝鮮をわかりやすく解説」と題しての講演を聴いてきました。

簡単に自己紹介、在日コリアンとして生まれ育ち、高校の3年間は「朝鮮高級学校」に通い、「これはちょっと違う」と感じ、北朝鮮民主化運動を行ってきた。
大学卒業後就職したが98年に辞めて中国の延吉市で語学留学生として暮らし脱北者から北朝鮮の生の情報を聞き北朝鮮の民主化を進めることがライフワークになった。
飢餓、そして衛生状態が悪いので肝炎が蔓延して子供たちがどんどん亡くなっていっている現状を何とかしたいと思った。

「先軍政治」と言われ120~140万人いるとされている軍隊の内ちゃんとした訓練を受けているのは20万人。
その他は農作業をやっている。
4~5月は「田植え戦闘」。
言ってみれば軍隊自体が巨大な公共事業。
この人たちに仕事を与え食べさせなければならない。
だから一般の人たちが疲弊する。

金正恩による粛清の話。

大変珍しい2枚の写真。
1枚は金正日が初めて肉声を発する人民解放軍のパレードでのもの。
金日成が金正日に対し国家元首としてではなく心配そうに息子を見つめる父親の顔をしているもの。
もう1枚は18年後に同じ状況で金正日が金正恩に対し国家元首としてではなく心配そうに息子を見つめる父親の顔をしているもの。
まさに全く同じ光景。
独裁者といえども人の親である証明。
そして象徴していることは北朝鮮が「家族経営」だということ。
だから “番頭”を切った。
どうも金正恩の周りにいる妹、姉、妻といった女性たちが口を出しているようで案山子のような存在になりつつある。

軍部の暴発はあるのか?
対外的に危機は煽るが軍自体は既得権益の組織なのでまず無い。

弾道ミサイルを始め軍隊のフォーメーションも含めありとあらゆる軍隊に関する軍事技術の輸出、アフリカ諸国との深い関係、エネルギー事情、韓国との関係、ロシアとのこと、中国との格差などの話。

極秘入手した北朝鮮のとある場所(講演の中では言われましたがここでは具体的地名は伏せます)の市場の映像。
実は現在も北朝鮮から魚介類はロシアの船が韓国経由で北朝鮮の痕跡を消し迂回させ日本(境港など)へ輸出されている。
ここは魚介類が豊富に獲れる所でこの地域の漁業関係者は皆日本と貿易をしたがっている。
なぜか?
ロシアのように野蛮ではなく、中国のように価格を叩いたりしないし、約束通りの金額で取引をしてくれ紳士的だから。
北朝鮮の人たちは日本のことを良く知っている。
だから早く日本と国交回復して貿易をしたい。
そうすれば必ず豊かになれる、と。
北朝鮮の一般の人たちは経済活動(市場)を行いながら逞しく生きている。
まさしくこの人たちが北朝鮮経済を支えている。

最後に拉致問題について触れられた。
北朝鮮の一般の人たちは拉致問題自体を知らないが、説明すると皆異口同音に「それはいけないことだ。北朝鮮政府はきちんと認め、謝罪し全員帰すべきだ。」と言う。
一般国民の方がはるかに真っ当な倫理観、道徳観を持っている。
更に高氏は中国や韓国は日本に対し戦後補償や慰安婦問題など非常に後ろ向きなことしか言わないが、もし日本が北朝鮮と国交正常化を果たしたならきっと彼らはこう言うだろう、「今までの事はもう済んだ事。大切なのは今とこれからだ。」と。

メディアでは見ることができないとても貴重な映像や画像を交え北朝鮮の90年代から現在に至るまでの変遷、そして期待と希望、また北朝鮮の一般の人たちをどうすれば日本国民のように豊かに幸せにできるのかを真摯に考え向き合っておられる高氏の講演を多くの方々に機会を作ってお聴き頂きたいと思いました。

桑田真澄先生の講演を聴いてきました2015/01/13

12月6日(土)に神奈川県内で弊社の長きに渡ってのお得意様ご主催の講演会で桑田真澄先生「試練は人を磨く」と題しての講演を聴いてきました。

講演前に桑田氏の紹介DVDを聴講者の皆さんにご覧頂き改めてご紹介頂き登壇、そして講演がスタート。

耳を澄まして聴いて丁度良いくらいの声量で静かな出だし。
まるで柳家小三治師匠の高座のマクラのようでした。

ご来場の年代チェックを挙手でされ、野球少年のキャプテンを壇上に上がってもらいインタビューして色紙をプレゼント。
客席との“キャッチボール”は見事です。

2歳から野球、プロとして23年間の現役生活。
今でも野球が大好き、OB戦に出たり、少年野球の指導も。
素晴らしいスポーツ。
一方で残酷なスポーツ。
平均引退年齢28歳。

野球は結果が全てだが、いかにチームメイトと協力し合って勝利に結びつけられるかが大事

都度都度客席との楽しいやり取りをして、色紙をプレゼントしながら会場内を徐々に桑田氏のペースに上手に巻き込んでいかれます。

自身の人生を一言で表すと「挫折」
決して栄光の人生ではなかった。

最初の挫折は小1。
4/1生まれの桑田氏は学年でも一番遅い生まれで体も小さかった。
勉強もできず諦めて早々に挫折。

プロ野球選手になりたいという夢を持っていたが、野球はどうだったか?
小3で少年野球チームへ入ったが6年生の中でたった一人3年生。
完全な縦社会の中で言葉では言えないようないじめに遭った。

甲子園へ行って早稲田大学に進学しプロ野球選手になるという夢を持っていたので中1から勉強も頑張ろうと一念発起。
小学校6年間全く勉強をやって来ていないのでなかなかできるようにはならない。
230人中230番。
しかし諦めず勉強が出来る友人や先生に聞いて教わりながら努力した。
すると230番が180番になり、150番になって行く。
こんなに小さな成功体験でも積み重ねると自信が持てるようになる。
「俺やれるかも」と。
こうなると次はあの先生にも訊いてみようとどんどん前向きになっていく。
「努力って楽しいなぁ」ということを勉強から学んだ
この勉強から教わった努力を野球に活かした。
そして勉強も野球も短時間集中型で毎日コツコツやるようにした。
中3の時には野球も勉強も楽しくて自信満々になった。

PL学園に入学が決まり、中3の時初めて清原和博氏と出会う。
それまでは少年野球のリーグが違うこともあり全くお互いに知らなかった。
初対面の握手の時の目線が清原氏のベルトの高さだった。
それほど彼は大きかった。

そして10球打ってみろと言われ、清原氏が打席へ。
1球目、2球目、今まで聞いたことのない『ガヴァーッ!』という音。
10球中8球が場外。
レフトのネットのはるか上を越えて行った。
次はノック、抜群の動きとグラブ捌き。
彼はエースで4番。
最後は投球。
190cm近い身長から投げ下ろす投球はプロ野球選手さながら。
さすがに度肝を抜かれここでも「挫折」した。
全国にはこんなにすごい選手がいるんだ、自分は小さいからダメなんだとコンプレックスを抱えマイナス思考に。
入学式が済み高1から清原氏は4番。
超縦社会での寮生活は小さい体では体力的に一日過ごすのがやっと。
5月に母に相談、「辞めさせて下さい」と。
この時に言われた最後の一言
「絶対に諦めちゃダメよ。この先何が起こるか誰にもわからないのよ。だからこそ絶対に自分の目標を諦めちゃダメよ。」
こう言われ「もう一回頑張ってみよう」と思った。

二つの努力、「表」と「裏」の努力がある
自身にとっての「表の努力」は野球の技術や体力を身に付けること。
「裏の努力」は野球とは全く関係の無いもの。
目標を立てやり通そうと決め、まず頭に浮かんだのは「トイレ掃除」。
1日に1つだけピカピカに磨いた。
次の日は寮の玄関の60足の靴を揃える。
挨拶と返事を大きな声でする。
学校の規則をちゃんと守る。
こんなことをしても野球は上手くならない。
寮では朝6:30集合。
誰よりも早く起きて誰にも見られないように3年間そういうことを続けた。
「裏の努力」を続けることで様々な「気付き」が生まれる。
お陰で高校3年間実力以上の結果を残すことができた。

体も小さくズバ抜けた才能も無かったのにやってこられたのは「運と縁と人(絆)と気付き」のお陰
そして人生は実力だけではない
東大に行った人だけが幸せになれる訳でも美人の人だけが、お金持ちだけが幸せになれる訳でも無い。
どの学校に通い、どんな先生に出会い、どんな仲間、そしてどんな企業に就職し上司・同僚・後輩に出会うか、どんな人に出会い結婚し家庭を作り、実力だけではなく「運と縁と人(絆)と気付き」のお陰できっと幸せな人生を送ることが出来るのではないかと思う、と。

最後に「是非本物に触れてもらい本物を味わって欲しい」ということで桑田氏が今まで実際にお使いになられた「現役時代に使用のグラブ」「ユニフォーム4着(PL学園・巨人軍・パイレーツ・巨人時代の清原氏のもの)」をお持ちになりお客様に壇上に上がって頂きエピソードを交えながら触れ、着て頂きました。
清原氏のユニフォームはとても大きいのであえて小学生の男の子に着てもらい大きさを一見してわかって頂くようにされ場内大爆笑で大変盛り上がりました。
さらにサインボールの抽選とプレゼンテーターまで務めて下さいました。
お客様ともコミュニケーションを取りながら和やかで笑いもあり、まるで場内が一つのチームメイトのような一体感を味わえる楽しい講演会でした。

井村雅代先生の講演を聴いてきました2014/12/19

11月21日(金)に都内ホテルで弊社お得意様ご主催の講演会で井村雅代先生「教える力」と題しての講演を聴いてきました。

井村先生はシンクロナイズドスイミングのナショナルコーチとして8回のオリンピックに選手を率い全てのオリンピックで選手達にメダルを獲らせてあげるという快挙を続けておられます。

今年の4月に10年ぶりに日本のナショナルコーチに復帰。
2004年のアテネ五輪の約2年後から2013年までの間に中国のナショナルチームのコーチとして北京とロンドン五輪を戦い、その後3か月イギリスのナショナルチームのコーチ。
なぜ中国チームを教えたか?
シンクロを始めて25年の中国が国際大会でメダルを獲ったことがない。
この当時中国は世界で7~8位だった。
北京五輪で開催国にメダルを獲らせたい、種目も何でもいい、メダルの色も何でもいいと言われた。
もしかしたら1年8か月あるからメダルを獲らせてあげられるかも、力になってあげられるかもと思った。
2006年の日中関係が政治的に良好ではない時期、そしてロシア人のコーチが中国チームを教えていたにもかかわらず本番は日本人に、との強い希望。
断ればロシア人コーチがなっていただろう。
芸術性が評価される種目でもしメダルを獲らせてあげられたら日本シンクロの大きなアピールができる絶好のチャンスだと考えたから中国へ行った。
日本流シンクロを世界の中での確固たる地位に置いておく為に。
そして結果は銅メダル。

その後日本はというとどんどん弱くなっていった。
水泳連盟からは「年齢オーバー」だからナショナルコーチとしては要らないと言われた。
が、それは口実で本当は中国に教えに行ったから。
そして再び中国からロンドン五輪へ向けナショナルコーチへの就任要請。
北京五輪以上の成績をと思い、結果銀メダルと銅メダルを獲らせてあげることができた。

なぜ今年4月に日本のナショナルコーチに復帰したかというと昨年バルセロナで行われた世界選手権で今まで一度も負けたことがなかったウクライナに負け、リオ五輪への出場が危うくなり何とかリオ五輪に出場させてくれということでカムバック。

「どうして毎回オリンピックでメダルが獲れるのか?」とよく訊かれる。
「メダルを獲ると決めているから」と答える。
オリンピックから逆算してやることを全て決めてやっていく。
当然遅れが出る、慌てて頑張って修正するが結果目標は変えない。
結果目標を修正してはダメ。
修正するようなら絶対に達成できないので目標自体立ててはダメ。
スポーツもビジネスも一緒、結果が全て。
頑張った日々に価値は無い。
結果に価値がある。
結果が輝きを放ってこそそこに至るまでのプロセスに価値がある。
そして頑張ったかどうかは他人が決めるものだということ。

9月のアジア大会、10月のワールドカップまでたった5か月しか練習期間がなかった。
つまり短期決戦。
根こそぎ修正はできない、必ずダメになり、ダメになって復活するまでに時間が掛かるから。
ではどうするか?
最も効果的な修正可能なポイントだけ手を入れることがコツ。
今回のワールドカップでは「シャープに動くこと」だけに絞った。

遊びに行く元気も無くさせようと思い切りしごいた。
目標タイムなどをほんの少しだけ下げて出来るまでやらせた。
選手もしんどいが指導者はもっとしんどい。
何が何でも絶対にやるんだということを伝えて達成させてやらなければならない。
上に立つ者はいつも下の者から試されている。
選手達に言い続けたことは「あなた達に不可能なことは絶対に要求していない。ほんの少し無理をすれば出来ることを要求している。だから必ず出来るはず。」だと。
そして「もっと自分の可能性を信じなさい」と。

加えて「1ミリの努力」をしよう、とも。
例えば今日垂直跳びをやって40cm跳べたとする。
1か月後に50cm跳べと言われたら「ちょっと無理」という自分と「やってみよう」という自分が交錯するだろう。
でも明日40cmと1mm跳んでみなさいと言われたら跳ぶ。
これが目標の設定の仕方。
もちろん大きな目標も立てなければならないが叶えられる目標が大事。
明日1mm、明後日もう1mm、3か月と10日後には50cm跳べるようになると思わせてあげる事。

メダルを獲る(トップの)頑張り方はファイナリストになる頑張り方や入賞する頑張り方とは頑張り方の次元が違う。
中国の選手たちがトロトロ練習していた時に「あんたらメダル要らんかったらずっとそうしとき!」と言ったら目の色変えて「いやいや先生困んねん、メダル要るねん」(もちろん中国語でですけど)と即答。
だから中国はメダルが獲れた。

そうしてプールサイドの白板に「トップの頑張りをしよう」と書き、筋肉を付ける為に必要な3cmの体脂肪を取るべく4月から始めたハードな練習で6月になっても涙を流しているので「あんたらいつまで涙流してんの!いい加減に涙流すの止めなさい!」と怒鳴ったら止まった。
この時「(先生はいわゆる女の涙は流したことがないそうで)女の涙ってなんやの!?やめなさいって言われて出来るんやったらさっさとやめなさい!」と思った。
もう一つ「苦しくてもそういう顔をするな、ポーカーフェイス」でと。
こうして行く内に彼女たちが徐々に変わっていった。

アジア大会が終わりそのまま仁川から成田で荷物の入れ替えだけして直行でカナダ(ケベック)のワールドカップへ。
公式(公開で行われる)練習でボーッとしていて燃えていない。
彼女たちは負けた時に傷付かないように燃えないようにしているんだということに気付いたので、静止を振り切りなぜアジア大会で中国に負けて2位になったかVTRを見せながら誰のどこが悪かったかを論うことを敢えてやった。
そして「あなたたちは世界の大会でメダルを獲れないという歴史を自らの手で変えなさい、メダルを獲って帰るのとそうでないのとは大きな違いがある。そう言われて辛い苦しい、プレッシャーと感じるならジャパンを背負う資格が無い」と。
「歴史を変えられるチャンスがある時に選手でいられるということは選手冥利に尽きるんだ、私が泳げるならそうしたい、でもできないのだからできるあなたたちが日本の歴史を変えてきなさい」と言った。
試合直前ラストコールルームで選手達と円陣を組み手を握ってリーダーが「あれだけたくさん練習してきたから絶対私達できるよ、練習でやってきたことを信じて思いっ切り力を出そう」と言ったのを聞いた時に「5か月で思い切り練習なんかできへんやろ」と思ったが、彼女たちにしたらすごい練習してきたんだ、そのまま出て行ってもらおうと思って最後に選手達に「あなたたち今から試合に出るけどジャパン背負って泳いでこい」と声を掛けた。
彼女たちは震えて泣いていた。
2004年までは「最高の演技をしてこい」と声を掛けていたがそれではメダルには届かないと思っていたので火事場の馬鹿力を期待して賭けに出てそう声を掛けた。
そして5か月の間ほめてあげることも無かったが「私のプレッシャーによう勝った」と心からほめてあげたい。
本当に力以上を出し切りこれ以上の演技は出来ませんというものをやってくれた。
そして彼女たちは初めてメダルを手にした。

ここでそのワールドカップのVTR。

メダルを手にしたことで今までの練習の中で「なぜ」と思っていたことが縺れた糸が解れるように理解できたことがきっとたくさんあると思う。
それをわかって貰う為にやってきたのだから。

ただこの1回は「たまたま」勝ったと思っている。
ウクライナも「たまたま」負けたと言っているはず。
「たまたま」にしないようにしなければならない。
2回は「確実性が高い」、3回は「本当」だと思う。
一流のものを作りたい。
一流でありたい。
三流は道に流され、二流は道を選び、一流は道を作る。

正式に水泳連盟から2015年1月よりリオ五輪までナショナルコーチをやってくれと依頼された。
今度は選手達にオリンピックでメダルを獲らせてやりたい。
日本シンクロの復活は自分への挑戦と位置付け選手達と闘っていきたい。
こう最後に力強く仰った。

控室で著書にサインを書かれる際に「敵は己の妥協にあり」と記されていた。
講演を聴きまさしくこの言葉そのものの教え方、そして自身にも同様に厳しいけれど実は愛情溢れる方なのだなぁと感じた。
月並みだがとても素晴らしい講演だった。

スポーツでしか与えられない感動が確かにあり、それを体現する選手、そして名伯楽(コーチ)の二人三脚によってそれを私たちは味わわせて貰えるのだと再認識。

最後に余談ではありますが控室へ主催者のトップの方がご挨拶に見えられた時に
主催者「テレビで拝見すると怖いイメージがありましたが全然違うんですね」
井村氏「怖いのはプールサイドだけで普段はいつもこんな感じでニコニコしてます」
という会話がありました通り井村先生は優しい目をされ終始ニコニコしておられました。

黒木安馬先生の講演を聴いてきました2014/11/14

10月10日(金)に都内ホテルで弊社お得意様のご主催講演会で黒木安馬先生「貴方の本当の価値は何ですか?」というテーマでの講演を聴いてきました。

日本航空の国際線でチーフパーサーを務められ30年で2万時間ものフライトを経験、しかもそのほとんどをファーストクラスで。

フライト時のVIPの方々との数々のエピソードの中から、聴講者の為になりそうなものをチョイスし実名を挙げながら披露。

本田宗一郎氏の「牛の角と耳」の話(超要約すると、角と耳はどちらが前か?いつも見ていて当然わかっていると思っていたことが実はちゃんと “観”ていなくて全くわかっていないということ)が切っ掛けとなり滅多にお目に掛かれないファーストクラスに乗る世界のVIP、成功者を色々な角度から観察してやろうと“観”るようになった。

オードリー・ヘプバーンとギャレーで二人きりでタバコを吸ったこと、そこで本人から浮浪児みたいに育ち、拾われてスターになるまでの話を聞かされそれが「マイフェアレディ」になった、とか。

超VIPは言葉遣いが全然違う。
「しかし」は使わない。
誰かが何かを言った時に「しかし◯○」と言い続けると3日で全ての友達を失くす。
例えば「満月が綺麗だね」と言って「しかし満月もじき欠けていくから」、とか「これ美味しいね」と言うと「でも俺はあまり好きじゃないな」とか言うヤツと一緒に居たいとは思わない。

機内で「責任者を出せ~~!!」と言っているお客様の前で「しかしですね・・・」と言って解決したことは一度も無い。
ではどう言うか?
「なるほど」と言う。
「なるほど」、「なるほど」を繰り返し「どうしてでしょうか?」と持って行くと話をちゃんと聞いてくれると思ってくれ味方になってくれる。

超VIPは超素直。

水をご所望の折にも「君が暇な時で良いから水を一杯貰えるかな?」と言う。
もちろんすぐに持って行く。
すると「ありがとうございます」と礼を言う。
当たり前だと思うだろうが、成金は「おい、水」と言い、持って行くと礼も言わずに当たり前という顔をする人が多い。

ヨーロッパ線のファーストクラスは往復138万円。
エコノミーで行く全行程宿泊、食事付の1週間のツアーは¥79,800。
離陸も着陸も墜落も条件は同じ。

ある方にワインの事を訊かれ種類、ボトルの形状の違いなどを説明すると「なるほど、なるほど」を繰り返し、小さなスケッチブックに絵を描いていた。その方にお礼にと「・にんべん)の言う)ことをじる者はけることが出来る」と教わった。
この方が松下幸之助氏。しかも幸之助氏はワインのことは百も承知だった。
本社には「知っているとは言わぬこと」という言葉が残っている。
つまり知っていてもそれを言わなければ相手を認めることになるということ。(ピグマリオン効果)人は誰もがほめられたい、認められたいと思う。

顧客満足から顧客感動へ。
気配りと心配りの違い。
今の自分を最高の部下として使いたいか?
36年日本一を続ける旅館「加賀屋」の秘密。
1300坪の敷地に自身で家を建て、プールを造った話。

お客様に好かれるようになる為にはどうすれば良いか?
人に自分を好きになって貰える「SOS」とは?
S:「すごいですね」「素晴らしいですね」
O:「驚きました」「面白いですね」
S:「さすがですね」「最高ですね」

SOSを使えば相手をほめて認めることが簡単にでき、間違いなく好かれる。

「お元気ですか?」ではなく「お元気そうですね」と声を掛けるようにすると相手はそう見えているのだといい気分に出来る。

世界の成功者は走りながら考える人。

世界の成功者は書く(描く)人。
イメージをより具体的に表現することで確実に目標に近づく。

皆さんも世界の成功者からPPT(パクってパクって使う)して下さい、と締められた。

話の中に武田鉄矢氏かゴルゴ13の松本氏か、とツッコミたくなるような他の漢字の話も数多くあり、オヤジギャグも満載でツボに嵌れば大爆笑。

惜しむらくは会場の音響設備に難点があり、いつもよりも短い1時間という講演時間ゆえに先生も少し早口になられてしまい聴き辛かったことが次回へ向けて弊社の反省点となりました。

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