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小倉智昭先生の講演を聴いてきました2014/09/11

7月9日(水)に都内で弊社顧客様ご主催の講演会で小倉智昭先生の「小倉流 楽しく生きる処世術」というテーマでの講演を聴いてきました。

登場の際の拍手に「EXILEでもないのに盛大な拍手で迎えて下さり、ありがとうございます。」という一言で軽く笑いを取り、「皆さんに何を聴きたいかアンケートを取ったら番組の裏話とか、誰と誰が付き合ってるとか面白い話が聴きたいと。ツイッターやフェイスブックをおやりになってる方がいらっしゃったら今日は勘弁して下さい、裏話ですから。」と釘を刺されスタート。

取捨選択が非常に難しいのですが私の判断で大丈夫(?)なものだけ書きますが、もしかしたら小倉先生にとってはマズいことも・・・と思いながら。

看護師で助産師だったお母さんが「産まれるから!」と、お母さんの指示通りお父さんが取り上げられたこと、食べられなかった秋田の子供時代のこと、どもりで(今でも気が緩むとどもるそう)苦労したこと、TV東京(当時は12チャンネルと言われていた)の最終面接で「なぜアナウンサーを志望したのか?」と訊かれ「どもりを子供の頃から馬鹿にされ悔しくて受けました」と答えて採用された。温情だったのかもしれない。その頃「た」行がどもっていた。当時総理大臣が田中角栄氏でニュースを読む時「んっ・・田中総理大臣」というように変な間があって読んでいると時間が足りなくなって少ない秒数の中で無理矢理原稿の文字数を入れようとして超早口で読み、息継ぎが上手くいかず気を失い先輩に「どうした?」と訊かれ「どもりで」とは言えないので「朝から39度の熱があって」と答えると小倉は入社したばかりの新人なのに高熱を押して仕事をやり意識朦朧としている中、最後まで時間通りにニュースを収めたと言われ“伝説の男”になり評価が高くなった。というように私の人生いい加減なんです、と。
競馬中継をやり早口で日本一と言われ、この頃は「か」行がどもり、強かった馬に「カネミノル」や「カネイコマ」などがいて実況をやっている時先頭に立つと言わない訳にはいかない。どうしたか?苦肉の策で「郷原右にうち飛んだカネミノル」などとジョッキーの名前や馬の脚色、動きなどをプラスして馬の名前を言う実況をやった。そうしたら「天才」と言われた。

後に大橋巨泉氏にニッポン放送の競馬の総合司会をやらないかと声を掛けてもらい、「大橋巨泉事務所に入ってタレント司会者としてやっても、ニッポン放送のアナウンサーでやってもいいよ」と言われどっちが条件的に良いか聞くと「歩合制のタレントになれば働いただけ貰えるから」と大橋巨泉事務所に入ったら土日の競馬以外仕事が無い。対する巨泉氏は多くのレギュラーを持ち1本の番組のギャラを300万円貰っていた。その巨泉さんが初めて引き抜いたタレントだと公言していた「小倉智昭」に仕事を回してくれるのかと思っていたが「他に能力があるなら使ってやるが競馬で取ったのだから今は一生懸命競馬をやれ」と言われ仕事はくれない。確かに土日の競馬だけやってサラリーマン時代の給料くらいは貰っていたが、当時様々な個人的な事情があり給料をもらうと2日後には無くなるので年中事務所に前借りしたり持っている物を質屋に入れたりして8年。この間電気、ガス、水道全て止まったこともあった。水洗トイレには困ったが近所の公園で済ませたりした。

そういう時期を経て大橋巨泉の『世界まるごとHOWマッチ』のナレーションを務め、番組内でも「小倉は、小倉は」と言ってくれたのでナレーションだけのギャラが森重久彌氏や石坂浩二氏と同じ位まで上がり、顔も出して司会もするようになったが司会のギャラがナレーションより安かった。「俺は顔を出したら安いのか」と思ったこともあった。

今は月曜日から金曜日まで番組を35年くらい続けている。半ばサラリーマンのような生活だが「とくダネ!」の日は築地の河岸に行く人よりも少し早い朝3時に起きて、5時に自宅を出るまでに糖尿病なので血糖値測ったりインシュリン打ったりやることが一杯ある。「とくダネ!」の視聴率の話、実名は内容的に出せない同業の二人のMさんやTさん、Fさん、Kさん、Sさんの話、「とくダネ!」歴代アシスタントの話、辛うじて披露できそうなネタは皆と雑談している中で「日本の裁判は3回(地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所)あるからな」という話をしていたら菊川怜さんが「えっ裁判って3回あるんですか?」と訊くので「東大ではそんなことは習わないの?」と聞き返すと「ええ、私はセメントの方ですから」と答えた。わからないことを恥ずかしがらずに人に訊ける所が凄い。決して計算して笑いを取っている訳ではなく、結果的に笑いを取ってしまう。他にも彼女の面白い話はたくさんありましたが申し訳ございません、書けません、お察し下さい。

交友関係の話。
安全地帯の玉置浩二氏とのこと、彼のメールの最後には必ず「愛してます」と入っている。彼は誤解され易いが小倉氏の言葉を借りれば「才能あふれるとってもイイ奴」。ただ芸能界という所はなかなか正当に評価されない。往々にして良い人が悪い人になったり、その逆になったりすることが多いような気がする。

今年15周年を迎える「嵐」のメンバーとのこと。事務所の教育が行き届いているのかジャニーズ事務所のタレントさんたち皆に共通する礼儀正しさが彼らにも備わっている。
メンバー全員とても仲が良くどの番組でもコンサートでもいつも控え室は大部屋で一緒、座る場所まで決まっている。普段仕事を離れるとメンバー同士はご飯食べたり、遊びに行ったりということはしないが、一緒に番組をやっている時には小倉氏が音頭を取りメンバー全員とゴルフやカラオケに行った。「嵐」はカラオケでも「嵐」の曲を振り付きで歌う。
コンサートに行ったことがあればわかるがスクリーンに歌詞を出す。これは歌詞を忘れることがある相葉君のため。
小倉氏の経営する中野坂上の焼肉店に二宮君は時々来てくれる。まだ店の隣にコインパーキングがあった頃、「今駐車場なのでこれから行きます」と電話があって15分後に来店。「遅かったね、車どこ駐めたの?」「歩いて15分位のコインパーキングです」「隣空いてなかった?」「おぐさん(小倉氏のこと)とこの隣の駐車場は高いから」と言う実にしっかり者。
相葉君の実家は幕張の方で中華料理屋をやっていて、幕張近辺でイベントなどがあるとよく寄る。他のメンバー曰く「旨いのは春巻きだけ」、でもそんなことはない、安くて美味しい。相葉君にそっくりなお兄ちゃんとご両親でやられている。ジャニーズ非公認(?)の“相葉ちゃんグッズ”の販売もしている。
ハワイでデビューした「嵐」。リーダーの大野君はハワイに行く前、辞めてコンビニの店員になろうと真剣に考えていた所に「最後だから記念にハワイに連れて行ってやるよ」とジャニーさんに言われ、ホノルルに着いて今までバラバラに活動していてお互いを知らない5人が集められて「君たち今日から“嵐”だから」と言われデビュー。「とくダネ!」が始まった年にハワイから中継をやった。

最後にお世話になっている大橋巨泉さんのこと。
結婚の時の媒酌人。奥さんの大学卒業を待って結婚。挨拶で「14歳(巨泉さんと奥さんの年齢差)まではまともな結婚だが15歳(小倉氏と奥様の年齢差)は“幼女誘拐”」と言った。
また、主賓に当時12チャンネル(現TV東京)のお世話になった局長にお願いしようと思って相談したら、「HOWマッチやってるんだからTBSの編成局長だろ」と言われ、一度も面識も無いのにご招待して主賓の挨拶をして貰ったら「僕は一度も小倉君に会ったことがありません。何故披露宴に呼ばれたのか意味すらわからない」と言われた。
そうこうあって巨泉さんから「(披露宴が3時間を過ぎ)長いから中締めの挨拶をしろ」と言われ「結婚披露宴で中締めってあるんですか?」と聞き返すと「みなさんお忙しいだろうから」と言われ仕方なく中締めの挨拶をした。幸い500名ほどのお客様は皆さんお帰りなられる方もなく無事お開きとなり、出口の金屏風の前でお客様のお見送りの時に何と巨泉さんではなく同じ顔をした事務所の社長でもある弟さんご夫婦が並んでいたので「巨泉さんは?」と訊くと「(披露宴が長いから)帰った」、と。

くれぐれも今日の話は、ね、よろしくお願いします。と思いきり“口外禁止”をお願いされ講演を終えられた。

書けないことがたくさんあり過ぎて大変申し訳なく思いますが、そこをお知りになりたい方は是非ご依頼頂き100%モザイク無しの講演をお聴き頂ければと思います。
さすがに飽きさせずに楽しい90分でした。

『新着講師』北原佐和子先生の講演を聴いてきました2014/08/26

6月21日(土)に都内で弊社お得意様ご主催の講演会で北原佐和子先生の「認知症介護 私の一歩」と題しての講演を聴いてきました。

プロフィールには載っていない部分を改めて自己紹介。アイドル歌手でデビュー、同期に小泉今日子さん、シブがき隊(布川敏和さん、本木雅弘さん、薬丸裕英さん)、薬丸裕英さんの奥さんの石川秀美さん、早見優さん、堀ちえみさん、松本伊代さん、三田寛子さんがいた。
並行して女優の仕事も。

そして月日を重ね年齢と共に役者としての役が変わって行く現実がある。子供を持たない自分には本当の母親の気持ちは理解できないというような順応できない自分がいる。そして女優という仕事を一生続けていけるのか、この10年深く考えるようになった。同時に「もし仕事が無くなってしまったらどうしよう」と不安にもなった。
でも女優として演じている時には女優業を大好きな自分がいる。ならば女優という仕事は辞めたくない。けれど忙しい時には寝る間も無いほどだが、それが終わると3か月も全く仕事が無いときもある。こういう時に「自分は必要とされていないのでは?私がいなくてもいいんじゃないか?」などと思い苦しい時間があったが、逆にその空き時間を使って何か出来ることはないかと考えるようになった。しかし10代からこの仕事しかやったことがないので手に職もなし。

そうしている時に介護に結び付く3つの小さな出来事があった。
1つ目は20代の前半に友人から頂いた障害者の方が作ったお皿、なんでもないお皿だったがなぜか温かく癒されたこと。
2つ目は大雨の日に出会った四肢麻痺の方。大雨の日、友人を車の中で待っていた時この方が傘を差して車の脇を一生懸命に歩いていたが全く傘の意味をなしてなくずぶ濡れ、そして大通りでタクシーを拾おうとしているが捕まらない、その姿を車の中から見ている自分は一体何をしているのだろう?車の中でこのままでいいのか?と自問し、居ても立っても居られず気が付くとその方の横に車を付け、「乗って下さい」と声を掛け助手席に回って手伝おうとしたら「手伝いは要らないです」とはっきり断られた。車に乗る際に掴むところが決まっているのかドアを掴み、シートを掴み懸命に乗り込んでいた。車中では色んな話をたくさんしてくれ「私はこのような体ですが神田まで通勤しています。でも通勤に時間が掛かってしまうので正味2~3時間しか働いていません。そんなことを週に2~3回やっています。」と話してくれほどなくご自宅へ着き、ドアを開けると傍にある金網にしがみつくように自身の体を支えながら家へと入られた。その姿を見、何て逞しいのだろう、それに引き替え自分は数か月仕事が無いだけで凹んでいる。もし同じ立場だったら四肢麻痺の方と同じように日々逞しく過ごせるのかと考えさせられた。
そして3つ目は友人の子供でダウン症のとても優しいてん君との出会いがあったこと。

3つとも遠い昔の出来事だがずっと忘れずにいる自分がいることに気付き介護の現場で働きたいと思うようになった。
色々調べてまずはヘルパー2級の資格を取ることからだと思い取得。
次は実際に働くこと。しかしどこにどうやってアプローチしていいのかが全くわからない。施設の詳細がよくわかる「介護ナビ」という本を出していた友人に相談。
施設を探すに当たり条件を付けた。1つ目は入浴介助のない施設、2つ目は夜勤対応ではない施設、認知症対応ではない施設、且つ女優の仕事も出来る所。
今考えるとよくもそんな条件を付けていたなと自分でも呆れかえるようなこと。
なぜそんな条件を付けたのか?入浴介助の後に女優の仕事があると化粧がボロボロで仕事に行けない、夜勤対応は昼夜逆転し体を壊したり肌にも良くないと思い、認知症対応は全く想像もつかず意思の疎通が図れず無理だと思ったから。
こんな自分を引き受けてくれたのはたった一つの施設だけだった。入浴介助あり、夜勤対応あり、認知症対応の施設。全ての条件は却下され、ここしかなかった。こうして介護の世界へ。

民家を利用した施設、最初の3か月は掃除ばかり。「なんで掃除ばっかり?」と思ったが利用者の方々にとって大事な衛生管理だと気付かされ、この間介護日記を細かく付け読み返すことでたくさんの気付きや発見があった。
食事、散歩、入浴、排せつなどを介しての利用者の方々とのエピソード、うまくできた時や喜んでもらえた時の嬉しさは施設で直に利用者の方々と触れ合うことでしか実感できない。

我儘な条件を付け施設を探していた自分を恥じ、利用者の方々と真摯に向き合うことで良い時間を過ごすことが出来るようになり、生きているという実感、わかり合える喜びを得られた。

施設で働くようになり3か月経った頃、ある研修で「あなたは認知症になると思いますか?」と問いかけられ、ビックリしたのと同時に心の中で「ない、ない、あり得ない」と思っている自分がいた。さらに「自分がもし認知症になったら今の施設に入りたいですか?」と問われ、「いえいえ私認知症にならないから入りたくないです」と心の中で答えていた。その日の夜その言葉が頭を離れずなかなか寝付けなかった。自分が認知症にならない保証なんて無い、認知症になる可能性があるんだということを認めざるを得なかった。だとしたらもし自分がそうなった時にどう対応してもらいたいかということを顧みた場合に、より深く理解し尊重してあげられるように考えなければならないのだと。
そうすることで不安が軽減され笑顔に繋がる日々が得られるかもしれない。

最後に現在も「あなたは認知症になると思いますか?」という問いかけに対し深く思い悩んだ自分がいたことを忘れることなく施設で働いている。そして「これからも変わることなく忘れることなく生きていきます。」と笑顔で言われた。

講演が終わり北原先生と少しお話させて頂き、原稿はお持ちになり登壇されましたが全くそれに目をやることなく非常にお上手でしたので今回の講演が2回目だと聞き驚きました。正直な所女優さんですから。が、やはりご自身がやりたい、やろうと思われ、実際にやっておられるその実体験に基づいた話ですのでとてもリアルで非常にイメージし易かったのできっとお聴きになられた方々の心にも浸み込んだことでしょう。

介護の話もさることながら、自分が必要とされる人になる為、生き甲斐ややりがいを見つける為にどのように自分自身と向き合うべきかなど多くのことを教えられた。

『新着講師』コント山口君と竹田君の講演を聴いてきました2014/08/18

6月19日(木)に都内で弊社お得意様ご主催の安全大会でコント山口君と竹田君の「思い込みがミスの“素” ~日々全く同じ仕事はない~」というテーマの講演を聴いてきました。

4月上旬にコント山口君と竹田君の旧知のHマネージャーからお二人での講演を考えたいという相談を受け山口君も交えテーマ、構成、内容など話し合い、こちらからのリクエストもお伝えし講演の中身を作り、構成して頂いて初めての講演会でしたし、この後も数本の講演をお願いしていましたので私が聴かない訳にはいかない現場でした。

実はこの日たまたまですが同じ会館の別の会場でも弊社のお客様ご主催の講演会で辺真一(ピョン・ジンイル)先生をお願いしておりました。

また、余談ですが本当の話でついつい笑ってしまいましたがコント山口君と竹田君の方の主催者ご担当者のご本名が千葉真一さんで、千葉さんの中学の同級生に何と野際陽子さんという方がいらっしゃったとのこと、さらに辺さんの方の主催者会長様のお名前が「モリヤ ヒロシ」さんで何とも不思議な日でした。

今年コンビ結成30周年を迎えられたコント山口君と竹田君のお二方は「くりぃむしちゅー」の有田哲平さんと上田晋也さんの師匠だと申し上げると「へぇ~」と仰られる方がほとんどです。

さて、講演の方はと言いますとコントで勢いよくスタート。コントの中に主催者名やお偉い方々のお名前を巧みに取り入れ、笑いで会場を一杯にし一気に和やかな空気を作ってしまう運びはさすがです。

またコント終了後すぐに、竹田君がクリーニングから返ってきたまま当然上下揃っているだろうという“思い込み”で衣装のスーツのズボンを本当に忘れたというオチまであり、チグハグな衣装もネタではなく計算していないマジボケで笑いを取り、失敗を笑いに変えてしまう所もさすがです。

聴衆の中からいじっても決して怒らなさそうな方を選ぶのもキャリアがなせる技とでも言いましょうか、やはりさすがです。

お二人それぞれの面白思い込みの実体験談、独立したばかりの時にマネージャーにガチで騙されてしまった時の思い込み、それらの経験や失敗から学んだ数々の事、STAP細胞に揺れる理研の時事ネタも交え、そしておそらく聴衆の方々の参考になるであろう話を偉ぶることなく楽しくわかり易くされた。

仲の良いコンビが非常に少ない中でたぶん筆頭に上げられるほど本当に仲が良いお二人です。今回の二人での講演という新しいスタイルもどちらか一人が講演をして稼ぐのではなく、一人当たりのギャラが少なくなっても二人での仕事を増やして、二人でやっていきたいという意思の表れです。私も初めての「二人講演」も全く違和感なくすんなりとお二人の世界へと入り込めました。

最後に竹田君が俳優の大滝秀治さんから教えられた「人生とは?」というエピソードを披露された。
大滝さん:「人生とは自信を持たなきゃいけないんだよ。謙虚でいなきゃいけないんだよ。自信の上には何がある?」
竹田君:「すいません、わかりません」
大滝さん:「驕りがあるんだよ。じゃあ謙虚の下には?」
竹田君:「わかりません。」
大滝さん:「卑屈がある。竹田君、この世界で長くやっていくんだったら自信と謙虚の間で生きなきゃいけない。それが人生、それを探す旅なんだよ。」
と竹田君が話し終えると間髪入れず山口君が「まだ活かされてないな。」とツッコミを入れ会場中大爆笑。
そして続けて「良い話を聞いて為になったと思い込み勘違いしている竹田君のようにならないで下さい。」と講演を締め括られた。

終了後Hマネージャーに僭越ながら良かった点、改善して欲しい所、もっとこうして貰えないかという要望をお伝えし、この後の弊社でお願いしている講演会へ向け“改良工事”を依頼し、見事に応えて下さりこの後に行われた弊社依頼の講演会は全て大好評で終えることが出来ました。

萩原栄幸先生の講演を聴いてきました2014/08/06

6月11日(水)に都内で弊社お得意様ご主催の萩原栄幸先生の講演を聴いてきました。
情報セキュリティ管理者の方々対象でテーマは「目からウロコが落ちるか?大変動期のヒントをここに!」でした。

萩原先生は金融業界の情報セキュリティ担当者で知らない方がいないと言われるほど有名で、間違いなく日本における情報セキュリティの第一人者です。

「情報セキュリティ」とは?、例えれば“暴れ馬”。ほんの少しだけ立ち止まったり、ボケッとすることもあればあっという間に振り落されることもあるもの。必死で勉強し続けないと追いついて行かない非常に大変なもの。

昔と比べ「セキュリティは大事」と異口同音に言われるが、その実人員や予算は縮小傾向にある企業が多い。実際に「情報漏えい」や「内部犯罪」が起きない限り経費としか映らないのでこの傾向はやむを得ない側面もあるのかもしれない。

しかし現在企業ではモバイル端末のセキュリティー・ポリシー策定、Webセキュリティ強化策対応、スマホの利用規定制定、企業SNS の導入、SNSの社内規則追加、クラウド導入検討及び実装、BYODの導入検討及び運用、渉外用タブレットの検討、ビッグデータ活用の推進における具体策検討、LINEの取り込み策検討、WindowsXP対応、消費税対応、サイバー攻撃対策などなど行わなければならなくなってきておりセキュリティーの重要度は高くなってきている。

今年5月13日付朝日新聞に「ネットバンキング不正深刻」と報道され、ネットバンキングの被害金額が2012年は4800万円だったのが2013年には約30倍の14億円を超えた。またNHKの報道でも今年の5月9日時点で既に前年の被害金額を超えている。

今後経営者は「情報セキュリティ」を経費として考えるのではなく戦略的投資と捉える必要がある。

昭和の時代「システム部」は人材の捨て場だったが、10年以上前から「システムを経験しないとTOPになれない」という認識に変わった。

サイバー “戦争”は既に始まっている。
CNNや昨年の韓国でもサイバー攻撃があった。

日本では被害があっても情報公開しない、そもそも被害に遭っているという認識すら無いのでいつの間にか被害の拡大を招き「見えない化」と情報の横断拒否によるボロボロになったシステムで、国会議員のPW(パスワード)漏えい事件ではPWが漏えいされたにもかかわらず発覚後1か月以上経過しても国会議員の半数がPWの変更をしなかったという世界では考えられない「情報セキュリティ」の認識が無い国家として見られている。

一般的に中小企業において基本中の基本であるログの採取はしているが定期的且つリアルで分析し警告を出すということをやっている所はほとんど無い。例えて言えば監視カメラを設置しているのに、まさに今泥棒が金庫室に入りお金を盗んでいくその監視カメラの映像をチェックしないのと同じこと。そしてほとんどの経営者の口から出る言葉は「うちはログを取っているから大丈夫」と言われるが何の意味も無い。

サイバー攻撃の概要、手順、SNSの危険性を具体的に説明。情報セキュリティ教育の大切さ。

報道で「アクセスはされたようだが被害は確認できなかった」というコメントをよく耳にすると思うが鵜呑みにしてはいけない。正しくは「アクセスはされたがそういう証拠を発見できなかった」ということで既に相当な情報が漏れてしまった前提で行動すべき。

2012年9月に米国下院情報問題常設特別委員会が「中国が米国の通信ネットワークにバックドアと呼ばれる悪意あるハードウェア、ファームウェア、ソフトウェアを組み込む危険がある」としてスマホでは世界でも上位の生産企業である「H社」と「Z社」を使用しないよう勧告書を出した。
また、コンピュータワールドの記事で「マイクロソフト中国で出荷時からマルウェアを含むPCを発見、工場でプリインストールか?」が出て中国で製造されたPCを徹底的に調べたら2割のPCから強力なマルウェアが発見されている。
昨年イギリス諜報機関の発表により旧IBMのPCブランドであった「L社」(現在は中国系企業が買収)のPCのハードの中に“不正な回路”が発見されたという。
以上の詳細情報も含め説明。

「サイバー攻撃」対策と「内部犯罪防止」対策についての基本的な考え方と具体的方法。

最後に我々は好き嫌いに関係なくITの世界に生きていて、通常の業務とは違い「情報セキュリティ」の世界は短期間でドラスティックに変化するので自ら身を守る為に何をどうするかをちゃんと考えた企業のみが勝ち組になるチャンスをモノにできると考えていると締め括られた。

未知の怖い情報を聴け、ちょっとした気の緩みがとんでもない結果を招く可能性を秘めていて「情報セキュリティ」は決してナメてはいけないこと、デジタルの世の中にあっても「人」と「教育」というアナログな部分が最も重要だということがよくわかった。

90分の講演、半日、一日セミナー、研修等萩原先生が書かれたわかり易いテキスト「よくわかる!情報セキュリティの基本」(PHP研究所)を使用しながらIT、セキュリティのイロハの「イ」の部分から実践そして専門的なものまでのどのようなレベルにも内容を合わせることが可能な講師です。
特に経営者の方々にとっては必聴の内容です。

辛坊正記先生の講演を聴いてきました2014/07/28

6月9日に都内で辛坊正記先生の講演を聴いてきました。

なかなか聴いてきた講演を書けなくて間が空いてしまいせっかく読んで下さる方々には大変申し訳なく思っており私自身忸怩たる思いがあります。
今後のラインナップの一部ですが「萩原栄幸先生(システムセキュリティの第一人者)」、「コント山口君と竹田君(くりーむしちゅーの師匠)」、「北原佐和子先生(女優)」、「工藤公康先生(野球解説者)」、「小倉智昭先生(キャスター)」、「佐々木常夫先生(ワークライフ“マネジメント”の第一人者)」とストックが溜まっておりますので追々ご紹介させて頂きますのでしばらくお待ち下さい。

さて、30数年来の弊社お得意様主催講演会でテーマは「日本経済の現状と課題 ~明るい未来を拓くには~」でした。

“辛坊正記”と聞いて「誰?」という反応と「もしかして」という二つの反応に分かれるのではないでしょうか?
後者の方はおそらく辛坊治郎氏の血縁かなぁ?と思われたでしょう。
そうです実のお兄様です。

講演の冒頭で「去年ヨットに乗っていてマッコウクジラが突っ込んできて救助されたTVキャスター辛坊治郎の兄です。」と自己紹介されました。

ご兄弟での共著を2冊出版しておられ2010年に最初の「日本経済の真実」を出版され、1週間くらい経った時に奥様が「毎日新聞のベストセラー」のコーナーで紹介された記事を見て「凄いじゃない、お父さん!でもね著者の所に辛坊治郎“ほか”って書いてあるわよ」、それ以来先生のお宅ではご両親から頂いた「正記」という名前に加え二つ目の名前が“ほか”になったそうです。

現在の経済成長率の上昇、失業率の低下、物価上昇でデフレ脱却か?と思われるかもしれないが過去にも何度もあったレベル。
長い間ずっと出口が見えないと言われ続けた経済の低成長と危機的と言われた政府の経済状態は前者に解決の途についてきたかなという程度。

ではこの先どうなっていくか?
①前出の長く日本経済が抱えてきた二つの課題の現状がどうなっているのか?
②アベノミクスでどうして今景気が良くなっているのか?
③これを日本の息の長い成長に結びつけ、復活に繋げていくために何が重要で何に気を付けなければならないか?

GDPとは?簡単に言うと例えばジーンズを6,000円掛けてベトナムで作り輸入し日本で10,000円で売ったとするとベトナムのGDPは6,000円、日本のGDPは4,000円となる。デパートへ行って同じ10,000円で物を買う場合、どこで作られた何を買うかによって日本の経済成長率、GDPが変わってくるということ。
1990年以降中国のGDPは30倍、欧米諸国は2~3倍、韓国は7倍、日本はほぼ横這い。
これからはGDPではなくブータンを見習ってGNHを上げようという人たちもいる。
もう経済成長しなくてもいいという考え方もあるが、成長が止まるということは他国が伸びている以上相対的に所得が減り国が衰退へ向かうこと。

1990年、グローバル化元年ともいうべき年。前年にベルリンの壁崩壊。
日本企業は海外進出するが外国企業は日本に入ってこない。
これが経済の停滞を生んだ低成長の背景。

日本の国債残高は1,000兆円余り、これに対し個人資産は1,600兆円ある。
しかし現在は高齢化で所得の25%あった貯蓄率が1%。ゆくゆくは0%、マイナスへという可能性も。そうなると国内で国債が処理できず金利上昇、破たんというシナリオも可能性として0ではなくなる。

アベノミクスの解説。三本の矢の最終目標は大きく経済を成長させ税収を上げること。日本の景気は確かに良くなってきているがもう少し見極める時間が必要。

聴衆の方へ「右手の人差し指だけを伸ばし高く上げ、時計回りに回して下さい。そして回しながら徐々に目線より低い位置、お腹の所まで下げて同じく時計回りに回すとどのように見えますか?」(これは実際にやって頂けるとよくわかりますが、反時計回りになります)「人間、間違いないと信じたこともちょっと見方を変えると全く違って見えるということ」で皆さんと意見が違っていても「そういう見方もあるか」とお考え頂けるとありがたいと上手にご自身のフォローをされた。

伝統的金融政策と非伝統的金融政策、インフレ目標達成後の日銀の動き方の予測、出口議論の必要性、政府の有効な手立てとは、ビジネス環境を整えるには、自由貿易協定の重要性とその中でTPPの締める位置は、法人税率をどう捉えるか、雇用規制についてなど多岐に渡る内容の濃い“ほか”のお話でした。

解り辛い経済の話をパワーポイントを使い、数字やグラフなど出典明らかな資料を多用し、聴衆の反応、表情を確かめながら時には噛み砕いて、時には流しながら眼前の聴き手にフィットするよう細心の注意を払い、とても解り易くお話されるので安心して聴くことができました。

本業でご多忙な講師ですのでなかなかスケジュールを頂くのは難しいのですが、今後はもっともっと積極的にご提案させて頂きたい講師です。

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