12月6日(土)に神奈川県内で弊社の長きに渡ってのお得意様ご主催の講演会で桑田真澄先生の「試練は人を磨く」と題しての講演を聴いてきました。
講演前に桑田氏の紹介DVDを聴講者の皆さんにご覧頂き改めてご紹介頂き登壇、そして講演がスタート。
耳を澄まして聴いて丁度良いくらいの声量で静かな出だし。
まるで柳家小三治師匠の高座のマクラのようでした。
ご来場の年代チェックを挙手でされ、野球少年のキャプテンを壇上に上がってもらいインタビューして色紙をプレゼント。
客席との“キャッチボール”は見事です。
2歳から野球、プロとして23年間の現役生活。
今でも野球が大好き、OB戦に出たり、少年野球の指導も。
素晴らしいスポーツ。
一方で残酷なスポーツ。
平均引退年齢28歳。
野球は結果が全てだが、いかにチームメイトと協力し合って勝利に結びつけられるかが大事。
都度都度客席との楽しいやり取りをして、色紙をプレゼントしながら会場内を徐々に桑田氏のペースに上手に巻き込んでいかれます。
自身の人生を一言で表すと「挫折」
決して栄光の人生ではなかった。
最初の挫折は小1。
4/1生まれの桑田氏は学年でも一番遅い生まれで体も小さかった。
勉強もできず諦めて早々に挫折。
プロ野球選手になりたいという夢を持っていたが、野球はどうだったか?
小3で少年野球チームへ入ったが6年生の中でたった一人3年生。
完全な縦社会の中で言葉では言えないようないじめに遭った。
甲子園へ行って早稲田大学に進学しプロ野球選手になるという夢を持っていたので中1から勉強も頑張ろうと一念発起。
小学校6年間全く勉強をやって来ていないのでなかなかできるようにはならない。
230人中230番。
しかし諦めず勉強が出来る友人や先生に聞いて教わりながら努力した。
すると230番が180番になり、150番になって行く。
こんなに小さな成功体験でも積み重ねると自信が持てるようになる。
「俺やれるかも」と。
こうなると次はあの先生にも訊いてみようとどんどん前向きになっていく。
「努力って楽しいなぁ」ということを勉強から学んだ。
この勉強から教わった努力を野球に活かした。
そして勉強も野球も短時間集中型で毎日コツコツやるようにした。
中3の時には野球も勉強も楽しくて自信満々になった。
PL学園に入学が決まり、中3の時初めて清原和博氏と出会う。
それまでは少年野球のリーグが違うこともあり全くお互いに知らなかった。
初対面の握手の時の目線が清原氏のベルトの高さだった。
それほど彼は大きかった。
そして10球打ってみろと言われ、清原氏が打席へ。
1球目、2球目、今まで聞いたことのない『ガヴァーッ!』という音。
10球中8球が場外。
レフトのネットのはるか上を越えて行った。
次はノック、抜群の動きとグラブ捌き。
彼はエースで4番。
最後は投球。
190cm近い身長から投げ下ろす投球はプロ野球選手さながら。
さすがに度肝を抜かれここでも「挫折」した。
全国にはこんなにすごい選手がいるんだ、自分は小さいからダメなんだとコンプレックスを抱えマイナス思考に。
入学式が済み高1から清原氏は4番。
超縦社会での寮生活は小さい体では体力的に一日過ごすのがやっと。
5月に母に相談、「辞めさせて下さい」と。
この時に言われた最後の一言
「絶対に諦めちゃダメよ。この先何が起こるか誰にもわからないのよ。だからこそ絶対に自分の目標を諦めちゃダメよ。」
こう言われ「もう一回頑張ってみよう」と思った。
二つの努力、「表」と「裏」の努力がある。
自身にとっての「表の努力」は野球の技術や体力を身に付けること。
「裏の努力」は野球とは全く関係の無いもの。
目標を立てやり通そうと決め、まず頭に浮かんだのは「トイレ掃除」。
1日に1つだけピカピカに磨いた。
次の日は寮の玄関の60足の靴を揃える。
挨拶と返事を大きな声でする。
学校の規則をちゃんと守る。
こんなことをしても野球は上手くならない。
寮では朝6:30集合。
誰よりも早く起きて誰にも見られないように3年間そういうことを続けた。
「裏の努力」を続けることで様々な「気付き」が生まれる。
お陰で高校3年間実力以上の結果を残すことができた。
体も小さくズバ抜けた才能も無かったのにやってこられたのは「運と縁と人(絆)と気付き」のお陰。
そして人生は実力だけではない。
東大に行った人だけが幸せになれる訳でも美人の人だけが、お金持ちだけが幸せになれる訳でも無い。
どの学校に通い、どんな先生に出会い、どんな仲間、そしてどんな企業に就職し上司・同僚・後輩に出会うか、どんな人に出会い結婚し家庭を作り、実力だけではなく「運と縁と人(絆)と気付き」のお陰できっと幸せな人生を送ることが出来るのではないかと思う、と。
最後に「是非本物に触れてもらい本物を味わって欲しい」ということで桑田氏が今まで実際にお使いになられた「現役時代に使用のグラブ」「ユニフォーム4着(PL学園・巨人軍・パイレーツ・巨人時代の清原氏のもの)」をお持ちになりお客様に壇上に上がって頂きエピソードを交えながら触れ、着て頂きました。
清原氏のユニフォームはとても大きいのであえて小学生の男の子に着てもらい大きさを一見してわかって頂くようにされ場内大爆笑で大変盛り上がりました。
さらにサインボールの抽選とプレゼンテーターまで務めて下さいました。
お客様ともコミュニケーションを取りながら和やかで笑いもあり、まるで場内が一つのチームメイトのような一体感を味わえる楽しい講演会でした。
11月21日(金)に都内ホテルで弊社お得意様ご主催の講演会で井村雅代先生の「教える力」と題しての講演を聴いてきました。
井村先生はシンクロナイズドスイミングのナショナルコーチとして8回のオリンピックに選手を率い全てのオリンピックで選手達にメダルを獲らせてあげるという快挙を続けておられます。
今年の4月に10年ぶりに日本のナショナルコーチに復帰。
2004年のアテネ五輪の約2年後から2013年までの間に中国のナショナルチームのコーチとして北京とロンドン五輪を戦い、その後3か月イギリスのナショナルチームのコーチ。
なぜ中国チームを教えたか?
シンクロを始めて25年の中国が国際大会でメダルを獲ったことがない。
この当時中国は世界で7~8位だった。
北京五輪で開催国にメダルを獲らせたい、種目も何でもいい、メダルの色も何でもいいと言われた。
もしかしたら1年8か月あるからメダルを獲らせてあげられるかも、力になってあげられるかもと思った。
2006年の日中関係が政治的に良好ではない時期、そしてロシア人のコーチが中国チームを教えていたにもかかわらず本番は日本人に、との強い希望。
断ればロシア人コーチがなっていただろう。
芸術性が評価される種目でもしメダルを獲らせてあげられたら日本シンクロの大きなアピールができる絶好のチャンスだと考えたから中国へ行った。
日本流シンクロを世界の中での確固たる地位に置いておく為に。
そして結果は銅メダル。
その後日本はというとどんどん弱くなっていった。
水泳連盟からは「年齢オーバー」だからナショナルコーチとしては要らないと言われた。
が、それは口実で本当は中国に教えに行ったから。
そして再び中国からロンドン五輪へ向けナショナルコーチへの就任要請。
北京五輪以上の成績をと思い、結果銀メダルと銅メダルを獲らせてあげることができた。
なぜ今年4月に日本のナショナルコーチに復帰したかというと昨年バルセロナで行われた世界選手権で今まで一度も負けたことがなかったウクライナに負け、リオ五輪への出場が危うくなり何とかリオ五輪に出場させてくれということでカムバック。
「どうして毎回オリンピックでメダルが獲れるのか?」とよく訊かれる。
「メダルを獲ると決めているから」と答える。
オリンピックから逆算してやることを全て決めてやっていく。
当然遅れが出る、慌てて頑張って修正するが結果目標は変えない。
結果目標を修正してはダメ。
修正するようなら絶対に達成できないので目標自体立ててはダメ。
スポーツもビジネスも一緒、結果が全て。
頑張った日々に価値は無い。
結果に価値がある。
結果が輝きを放ってこそそこに至るまでのプロセスに価値がある。
そして頑張ったかどうかは他人が決めるものだということ。
9月のアジア大会、10月のワールドカップまでたった5か月しか練習期間がなかった。
つまり短期決戦。
根こそぎ修正はできない、必ずダメになり、ダメになって復活するまでに時間が掛かるから。
ではどうするか?
最も効果的な修正可能なポイントだけ手を入れることがコツ。
今回のワールドカップでは「シャープに動くこと」だけに絞った。
遊びに行く元気も無くさせようと思い切りしごいた。
目標タイムなどをほんの少しだけ下げて出来るまでやらせた。
選手もしんどいが指導者はもっとしんどい。
何が何でも絶対にやるんだということを伝えて達成させてやらなければならない。
上に立つ者はいつも下の者から試されている。
選手達に言い続けたことは「あなた達に不可能なことは絶対に要求していない。ほんの少し無理をすれば出来ることを要求している。だから必ず出来るはず。」だと。
そして「もっと自分の可能性を信じなさい」と。
加えて「1ミリの努力」をしよう、とも。
例えば今日垂直跳びをやって40cm跳べたとする。
1か月後に50cm跳べと言われたら「ちょっと無理」という自分と「やってみよう」という自分が交錯するだろう。
でも明日40cmと1mm跳んでみなさいと言われたら跳ぶ。
これが目標の設定の仕方。
もちろん大きな目標も立てなければならないが叶えられる目標が大事。
明日1mm、明後日もう1mm、3か月と10日後には50cm跳べるようになると思わせてあげる事。
メダルを獲る(トップの)頑張り方はファイナリストになる頑張り方や入賞する頑張り方とは頑張り方の次元が違う。
中国の選手たちがトロトロ練習していた時に「あんたらメダル要らんかったらずっとそうしとき!」と言ったら目の色変えて「いやいや先生困んねん、メダル要るねん」(もちろん中国語でですけど)と即答。
だから中国はメダルが獲れた。
そうしてプールサイドの白板に「トップの頑張りをしよう」と書き、筋肉を付ける為に必要な3cmの体脂肪を取るべく4月から始めたハードな練習で6月になっても涙を流しているので「あんたらいつまで涙流してんの!いい加減に涙流すの止めなさい!」と怒鳴ったら止まった。
この時「(先生はいわゆる女の涙は流したことがないそうで)女の涙ってなんやの!?やめなさいって言われて出来るんやったらさっさとやめなさい!」と思った。
もう一つ「苦しくてもそういう顔をするな、ポーカーフェイス」でと。
こうして行く内に彼女たちが徐々に変わっていった。
アジア大会が終わりそのまま仁川から成田で荷物の入れ替えだけして直行でカナダ(ケベック)のワールドカップへ。
公式(公開で行われる)練習でボーッとしていて燃えていない。
彼女たちは負けた時に傷付かないように燃えないようにしているんだということに気付いたので、静止を振り切りなぜアジア大会で中国に負けて2位になったかVTRを見せながら誰のどこが悪かったかを論うことを敢えてやった。
そして「あなたたちは世界の大会でメダルを獲れないという歴史を自らの手で変えなさい、メダルを獲って帰るのとそうでないのとは大きな違いがある。そう言われて辛い苦しい、プレッシャーと感じるならジャパンを背負う資格が無い」と。
「歴史を変えられるチャンスがある時に選手でいられるということは選手冥利に尽きるんだ、私が泳げるならそうしたい、でもできないのだからできるあなたたちが日本の歴史を変えてきなさい」と言った。
試合直前ラストコールルームで選手達と円陣を組み手を握ってリーダーが「あれだけたくさん練習してきたから絶対私達できるよ、練習でやってきたことを信じて思いっ切り力を出そう」と言ったのを聞いた時に「5か月で思い切り練習なんかできへんやろ」と思ったが、彼女たちにしたらすごい練習してきたんだ、そのまま出て行ってもらおうと思って最後に選手達に「あなたたち今から試合に出るけどジャパン背負って泳いでこい」と声を掛けた。
彼女たちは震えて泣いていた。
2004年までは「最高の演技をしてこい」と声を掛けていたがそれではメダルには届かないと思っていたので火事場の馬鹿力を期待して賭けに出てそう声を掛けた。
そして5か月の間ほめてあげることも無かったが「私のプレッシャーによう勝った」と心からほめてあげたい。
本当に力以上を出し切りこれ以上の演技は出来ませんというものをやってくれた。
そして彼女たちは初めてメダルを手にした。
ここでそのワールドカップのVTR。
メダルを手にしたことで今までの練習の中で「なぜ」と思っていたことが縺れた糸が解れるように理解できたことがきっとたくさんあると思う。
それをわかって貰う為にやってきたのだから。
ただこの1回は「たまたま」勝ったと思っている。
ウクライナも「たまたま」負けたと言っているはず。
「たまたま」にしないようにしなければならない。
2回は「確実性が高い」、3回は「本当」だと思う。
一流のものを作りたい。
一流でありたい。
三流は道に流され、二流は道を選び、一流は道を作る。
正式に水泳連盟から2015年1月よりリオ五輪までナショナルコーチをやってくれと依頼された。
今度は選手達にオリンピックでメダルを獲らせてやりたい。
日本シンクロの復活は自分への挑戦と位置付け選手達と闘っていきたい。
こう最後に力強く仰った。
控室で著書にサインを書かれる際に「敵は己の妥協にあり」と記されていた。
講演を聴きまさしくこの言葉そのものの教え方、そして自身にも同様に厳しいけれど実は愛情溢れる方なのだなぁと感じた。
月並みだがとても素晴らしい講演だった。
スポーツでしか与えられない感動が確かにあり、それを体現する選手、そして名伯楽(コーチ)の二人三脚によってそれを私たちは味わわせて貰えるのだと再認識。
最後に余談ではありますが控室へ主催者のトップの方がご挨拶に見えられた時に
主催者「テレビで拝見すると怖いイメージがありましたが全然違うんですね」
井村氏「怖いのはプールサイドだけで普段はいつもこんな感じでニコニコしてます」
という会話がありました通り井村先生は優しい目をされ終始ニコニコしておられました。
10月10日(金)に都内ホテルで弊社お得意様のご主催講演会で黒木安馬先生の「貴方の本当の価値は何ですか?」というテーマでの講演を聴いてきました。
日本航空の国際線でチーフパーサーを務められ30年で2万時間ものフライトを経験、しかもそのほとんどをファーストクラスで。
フライト時のVIPの方々との数々のエピソードの中から、聴講者の為になりそうなものをチョイスし実名を挙げながら披露。
本田宗一郎氏の「牛の角と耳」の話(超要約すると、角と耳はどちらが前か?いつも見ていて当然わかっていると思っていたことが実はちゃんと “観”ていなくて全くわかっていないということ)が切っ掛けとなり滅多にお目に掛かれないファーストクラスに乗る世界のVIP、成功者を色々な角度から観察してやろうと“観”るようになった。
オードリー・ヘプバーンとギャレーで二人きりでタバコを吸ったこと、そこで本人から浮浪児みたいに育ち、拾われてスターになるまでの話を聞かされそれが「マイフェアレディ」になった、とか。
超VIPは言葉遣いが全然違う。
「しかし」は使わない。
誰かが何かを言った時に「しかし◯○」と言い続けると3日で全ての友達を失くす。
例えば「満月が綺麗だね」と言って「しかし満月もじき欠けていくから」、とか「これ美味しいね」と言うと「でも俺はあまり好きじゃないな」とか言うヤツと一緒に居たいとは思わない。
機内で「責任者を出せ~~!!」と言っているお客様の前で「しかしですね・・・」と言って解決したことは一度も無い。
ではどう言うか?
「なるほど」と言う。
「なるほど」、「なるほど」を繰り返し「どうしてでしょうか?」と持って行くと話をちゃんと聞いてくれると思ってくれ味方になってくれる。
超VIPは超素直。
水をご所望の折にも「君が暇な時で良いから水を一杯貰えるかな?」と言う。
もちろんすぐに持って行く。
すると「ありがとうございます」と礼を言う。
当たり前だと思うだろうが、成金は「おい、水」と言い、持って行くと礼も言わずに当たり前という顔をする人が多い。
ヨーロッパ線のファーストクラスは往復138万円。
エコノミーで行く全行程宿泊、食事付の1週間のツアーは¥79,800。
離陸も着陸も墜落も条件は同じ。
ある方にワインの事を訊かれ種類、ボトルの形状の違いなどを説明すると「なるほど、なるほど」を繰り返し、小さなスケッチブックに絵を描いていた。その方にお礼にと「人(亻・にんべん)の言う(言)ことを信じる者は儲けることが出来る」と教わった。
この方が松下幸之助氏。しかも幸之助氏はワインのことは百も承知だった。
本社には「知っているとは言わぬこと」という言葉が残っている。
つまり知っていてもそれを言わなければ相手を認めることになるということ。(ピグマリオン効果)人は誰もがほめられたい、認められたいと思う。
顧客満足から顧客感動へ。
気配りと心配りの違い。
今の自分を最高の部下として使いたいか?
36年日本一を続ける旅館「加賀屋」の秘密。
1300坪の敷地に自身で家を建て、プールを造った話。
お客様に好かれるようになる為にはどうすれば良いか?
人に自分を好きになって貰える「SOS」とは?
S:「すごいですね」「素晴らしいですね」
O:「驚きました」「面白いですね」
S:「さすがですね」「最高ですね」
SOSを使えば相手をほめて認めることが簡単にでき、間違いなく好かれる。
「お元気ですか?」ではなく「お元気そうですね」と声を掛けるようにすると相手はそう見えているのだといい気分に出来る。
世界の成功者は走りながら考える人。
世界の成功者は書く(描く)人。
イメージをより具体的に表現することで確実に目標に近づく。
皆さんも世界の成功者からPPT(パクってパクって使う)して下さい、と締められた。
話の中に武田鉄矢氏かゴルゴ13の松本氏か、とツッコミたくなるような他の漢字の話も数多くあり、オヤジギャグも満載でツボに嵌れば大爆笑。
惜しむらくは会場の音響設備に難点があり、いつもよりも短い1時間という講演時間ゆえに先生も少し早口になられてしまい聴き辛かったことが次回へ向けて弊社の反省点となりました。
10月1日(水)に埼玉県内で弊社お得意様のご主催講演会で諏訪貴子先生の「町工場の星、ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪貴子に学ぶ新経営改革」というテーマでの講演を聴いてきました。
「11年前に代表に就任してから現在に至るまでの取り組みについて話しますので、その中から考え方、やり方、モチベーションなど少しでも何かお持ち帰り頂ければ」と講演がスタート。
賞を獲りに行っていくつか貰ったが全て営業に繋げる為の知名度UPが目的。
業務内容、取引先について。
後世に高い技術を伝え残すために取り組んだこと。
なぜ、どのようにして32歳で後継者になったか。
お父さんが小学生の貴子氏に取った行動とは。
幼少期~社会人までのこと。
ダイヤ精機に戻されお父さんに2度クビにされたこととその真意。
雇用を守る為に売り上げを伸ばす努力。
二代目ならではの苦心した所。
意識、意図し、最もインパクトが強いと言われる“3”にこだわり「3年の意識改革」の実行。
取引先の担当者に「なぜウチに仕事を出すのか?」と訊いてみた。
「今さらですか?」と大笑いされたが、こう言われた。
「品質と価格は当たり前、お宅に出しているのは『対応力』、つまり欲しい時にすぐに持って来てくれ、呼んだらすぐに来てくれるように“特急対応”してくれる所だ」と。
ならばここの強化を図ることが最重要と考えより早く“特急対応”できるよう生産管理システムを導入。
導入したことで取引先との一層の信頼関係を構築でき、しっかり利益に繋げることができた。
少しでも良い人材に来てもらう為パンフレット、ホームページも充実させた。
新人教育、人材育成について。
「何でも良いから一つだけ誰にも負けないものを作りなさい」と言っている。
それを成し遂げることでちゃんと評価をして貰え認められるという経験をしてもらいたいから。
入社間もない職人の女子社員が鉄に字を書く“刻字”で一番になると言い出した。
硬い鉄に書くのでミミズが這ったような字になり綺麗に書くのは大変難しい。
彼女はもの凄く練習したった2~3か月で社内で一番綺麗に書けるようになった。
すると職人さんたちは自分が丹精込めて作ったものだから失敗されたくないので綺麗な小さな文字を彼女に刻字してもおうと「彼女待ち」という状態が起こるようになった。
そうなることで彼女も自信を持ちコミュニケーションが取れるようになり、質問もできるようになり加速度がついて成長した。
ベテランの職人は「見て覚えろ、わからないことがあれば訊け」と言い、新人は「何がわからないか、何を訊けばいいかがわからない」と言う。
そこをどうしてあげるかが大切。
中間管理職の養成の話も。
成長が早いのはヒューマンスキルの高い人。
特別難しいことではなく普通に話せる人。
昨年試験的に未経験者でサービス業経験者のみ3名、無印良品、マクドナルド、ホームセンターの販売員だった人を採用。
色んな年代の方々、それもお客様という“怖い”立場の方々と話した経験をたくさん持っているから職人が怖くないので質問もでき、仕方も上手い。
従って成長が早い。
最後に民主党政権時代に当時の野田総理が視察に来られた時の直訴の話をされた。
会社を離れていた何年かの内2年間結婚披露宴の司会をされていたので澱みなくとても聴き易い声で大変解り易く資料や画像などパワポを使い細かい所まで丁寧に説明され、聴講された方々はきっと具体的な話やヒントになるやり方などが参考になられたことと思います。
パワポをご覧頂きながらがベストですのでサラッとしか書きませんでしたが是非実際にお聴きになって欲しい講師です。
9月29日(月)に都内ホテルで弊社お得意様ご主催の講演会で山口真由先生の「経済ニュースの裏側」というテーマでの講演を聴いてきました。
プロフィールの補足説明と自己分析。1日最高19.5時間勉強した。凄く頭が良いわけではない。地道なタイプ。
まずは財務省がどういう所でどんな仕事をしているか。しかし2年で辞めているので一番下っ端から見た財務省ということになる。
大臣の国会答弁のシナリオを財務官僚が書くがこれは係長以上の仕事。
答弁内容が決まってからが下っ端の出番で、例えば38部のコピー(大臣、事務次官、主計局長、主税局長などなど財務省の幹部など)をとること、答弁数が5問だと×38部=190部、A3の資料があれば蛇腹に折り一緒に文書課まで持って行く所までが仕事。ここで時間は深夜午前1:30、帰ろうとすると「山口さ~ん」と呼ばれ、戻ると「この国会答弁書には矢印が書かれてないよ」と指摘された。
国会答弁書にはA4に5行書いて改ページするというルールがあり、矢印(→)が改ページの印。これはある大臣が答弁書に矢印が無かった時代に3ページ目を読まずに終えてしまい大問題になったことがあったためにルールが決められた。通常1~2ページはリップサービス、3ページ目は結局今はやらない(約束しない)という結論を述べるのが鉄則。この“事件”以降次のページへ続くときは必ず矢印を書けというルールが決まった。
その矢印を書き忘れていた。すると担当官が「矢印全部引いて、定規で」と。
矢印を引きながら午前1:45を時計の針が差すのを見ると悲しくなった。これは終電がなくなった後財務省を出発し寮を回る最終バス(この前に12:30に1便)の時間。当然タクシーは使えないのでこの日は自宅へ帰れなくなる。ただこのバスも道順は全く無視で偉い人の寮から回っていくので1時間以上掛かるが家へは帰れる。あぁ今日も“ホテルオークラ”だなと思う。おそらくご想像の近くにある超高級ホテルではなく“ホテル大蔵”つまり財務省の地下の仮眠室。男女別にはなっているが陽も当たらず布団も干したことが無い。男はベッド、女は茶室を改造しただだっ広い和室に湿った布団を敷いて寝る。
矢印を引いていると午前3時を回った。これが重要な2つ目のタイムライン。
午前3時で風呂の時間が終わりこの日は風呂にも入れなくなる。寮の風呂はとても狭く共同なので足を伸ばすことはもちろん長風呂もできなかったが、財務省の風呂は広いので足を伸ばしゆったりと長風呂できるので泊まりの際の唯一の楽しみだったが叶わず。
こういう時はせめて髪の毛だけでも洗おうと給湯室へ。毎日取り換える大臣室の胡蝶蘭の甘い香りと多忙で外出できない官僚が出前で取って出た残飯とが混ざり合った得も言われぬ臭いの中、水で髪の毛を洗っていると北海道育ちで初めて見るドブネズミが目の前を走り「キャーッ!!」で1日が終わる。
理不尽で横暴なパワハラ?と思うような上司の話など財務省時代の信じられない話や「女性の活躍」「経済政策と女性の社会進出」などについて。
1976年に「男女雇用機会均等法」が採用され、男性だけ採用という“排除”の時代が終わり、男並みに働くことが求められる“同化”へとシフトし1990年代になり総合職、一般職などというように男性がやる仕事、女性の仕事というように“棲み分け”の時代へと変化し、今はダイバーシティ(多様性)と言われる時代。
社会で活躍する女性のタイプは大別して2つ。この2つしか見たことが無い。
1つ目は名付けて「アイドル女子」。女子というにはいい年齢であっても女らしさを重視しチヤホヤされながら仕事をしている女性。
もう一つは「チャック女子」。別名「名誉男性」。女性だけれど背中にチャックがあって中身は男性という女性。
ここで実名は出せませんがそれぞれの代表例を事細かに解説。「なるほど」と思うこと多々。
前述の女性のタイプは過去のもの。
今の20~30代女性を活用する為に今までとは変えていかなければならない。
まず社会の構造から、これが大前提。
女性が働く上での二つの大きな不利益は「離職率の高さ」と「労働時間の長さ」。
前者は男女共に高くなりそれほど問題にはならなくなってきたが、後者は良くも悪くも日本の企業は“根性重視”つまり長時間労働を尊ぶ傾向が強い。
しかし仕事を時間ではなく質で評価するホワイトカラーエグゼンプションなどが導入されれば変わっていくだろう。
30代前後の真面目に働いている女性が掛かり易い3つの病。
1つ目は「とにかく不安病」。男性のようには働けない、結婚もしなきゃいけない、どうしていいかわからなくなり不安になりブレーキを掛け自ら引いてしまう。
2つ目は「甘やかされ病」。女性は若いだけで有利。男性なら28歳までに経験したであろう試練を受けずに甘やかされてきたのに28歳で突然甘やかされなくなるとこれからどうやって働いていけば良いかわからなくなる。
最後は「嫌われたくない病」。皆に好かれようと必要以上に気を遣い無理をしてしまう。
これら3つの病に配慮し接して欲しい。
女性は「承認欲求」が強いので、気付いている、ケアするよというサインを出せば安心して働くことが出来る。
最後に企業法務弁護士の仕事とは。
訴訟になること自体がダメージなのでいかに訴訟を未然に防ぐべく水面下で交渉するかが大事。
今一番訴訟になり易いのは労働問題。特にサービス残業と名ばかり管理職の問題。それらの気を付けるべきポイントを具体的に。
講演終了後電車で一緒に新宿まで移動する車中でも多くの話をしました。ご自分の考えをしっかり持っておられる素敵な女性でした。これからますます磨きを掛けられ講師としても女性としても今後のご活躍がとても楽しみです。
お問い合わせ・ご相談は
日本綜合経営協会は、全国47都道府県を対象に講演依頼に基づく講師派遣や、企画提案などを行なっております。
主催者の開催目的に合わせた最適なご提案から、手続き運営サポートまで。業歴50年、経験豊かな当社スタッフにトータルでおまかせください。