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高畑好秀先生の講演を聴いてきました2014/10/17

9月18日(木)に都内で弊社お得意様ご主催の講演会で高畑好秀先生「自分の実力を発揮するメンタルトレーニング」というテーマでの講演を聴いてきました。
前回長過ぎたので今回はかなりコンパクトに参ります。

知る人ぞ知るプロ野球選手やJリーガー、オリンピック選手のメンタルトレーナーである高畑先生はジャージで来られそのまま講演。控え室でも服装通りの気さくな感じで主催者の一番偉い方とも時間ギリギリまでにこやかに談笑しておられました。

人間、環境が変わると意識も変わり当たり前に出来ていたことが出来なくなってしまう。極端な話、例えば高所恐怖症の人に床に置いてある30cm幅の板の上を歩けと言われても簡単に歩けるが、この板が屋上から空中へ突き出ている状態だとおそらく歩けなくなる。

人間は脳から指令を出して体を動かしている。その指令にもプラスとマイナスがある。
ベンチプレスで180kgを簡単に上げてしまうラグビー日本代表選手と腕相撲をやった。1回目はあっけなく負けた。2回目は勝った。なぜか?2回目の前に最近試合でどんなミスをしたかを聞きミスプレーをした時のマイナスイメージを植え付けたから。つまり脳からマイナスの指令が行くと簡単に負けてしまう。それほどメンタルは大事。
どんなに良いもの、力や素質があってもいざと言う時に発揮できなければ宝の持ち腐れ、意味が無い。「いいもの持ってんだけどね~・・・」で終わってしまう。

北島康介氏から聞いた話。バタフライは最初は平泳ぎだった。平泳ぎの規定が左右対称の泳法だったので違反とはならずぶっちぎりで優勝した為に「バタフライ」という新たな泳法となった。
現状の規定、ルールの中で自分に有利な他のやり方がないか、自分のフィールドで戦う為にどうすれば良いかを徹底的に考え編み出したもの。

緊張することを「上がる」と言う。これは重心が上にある状態の事。
「地に足がつかない」「浮足立つ」という言葉通り。
では重心位置はどこにあるのがベストか?体の中心にあるのがベスト。
「腹を据える」「腹を決める」「腹を括る」と昔から言われている通りここ一番という時に腹に重心位置を決めること。
重心位置を体の中心に置く方法論も披露。
緊張することで猫背になり普通の呼吸がしにくくなり、司令塔である脳に最も必要な酸素を供給できなくなり、頭がボーッとした感じになる。

売れない営業・売れる営業、頑張りスイッチを入れない(頑張ってはいけない)こと、自然体とは、火事場の馬鹿力についてなども。

自身の思い込み体験談。
イチロー選手がある時銀紙のようなものに包まれた試合球を2個持って来て銀紙を剥がしどっちが重いと思うか?と問われ、全く同じ球なので「同じでしょ」と答えると「違いますよこっちのボールの方が湿気を帯びて少し重いんです」、さらに「鉄のボールとゴムのボール、同じ投げ方をしますか?」と訊かれ「そりゃ重さで投げ方は変えるよ」と言うと「そうでしょ、僕も投げる瞬間にボールの重さを感じて投げ方を変えるんですよ」と。
打席で右手にバットを立てて持ちピッチャー側へ腕を伸ばすいつものポーズも同じ理由で毎打席バットの重さの確認をしている。
もちろん守備位置においても球場入りして芝の長さ、芝目、土の硬さや高さなども入念にチェックし、しっかり準備をしている。
こんな選手に初めて出会いメンタルトレーナーとしてのレベルも上げて貰った気がする。

イチローもそう、大好きなことをやっている人は「努力」している訳ではない。
「継続は力なり」ではなく「“正しい”継続は力なり」なのだということ。

「メンタルトレーニング」とは先入観・固定観念を持たずプラスイメージを持ち“頑張りスイッチ”を入れず自然体で重心を体の中心に置き、良い姿勢で呼吸し脳に酸素を十分送り、いかに自分のフィールドで有利に戦うかをとことん考え準備し、自分をコントロールして良い結果に繋げる為のものである。

本当にこれが出来たらメンタルの天才になれるかもと思いながらの2時間でした。
でもやっぱり一人じゃ難しいなぁ、だからメンタルトレーナーという職業があるんだなと今さらながらに納得。

櫻井よしこ先生の講演を聴いてきました2014/09/30

7月15日(火)に都内ホテルで弊社お得意様ご主催の講演会で櫻井よしこ先生「変わるのは今しかない」というテーマでの講演を聴いてきました。

講演の直前まで会場のホテル内の別の場所で対談をされての会場入りとなりました。

「今日は日本の復権に向けてのお話ができると思います」と静かに、皆さんよくご存知のあの透き通るような美しい声で始まりました。

朝鮮半島はさておきすぐ西隣りが中国、すぐ東隣りがアメリカという2大国に挟まれた日本。
今アメリカが大きく変わった。他国の紛争に関わりたくないという姿勢が鮮明に。オバマ大統領が第一期とは全く違う外交・安全保障においての政策。国務長官、国防長官という重要ポストの人事を変えた。人事は方向性を見るのにとても大事。オバマ氏が第一期とは違う国防、外交政策を志していることが読み取れる。

アメリカや中国を分析し日本の国益の為に何をすべきかを導き出す為の研究をしている「国家基本問題研究所」というシンクタンクを主宰しておられる櫻井氏。
オバマ政権第二期に入り就任演説(8割方国内問題だった)を読んだその日の内に日本の研究機関の中で最初に「アメリカが変わるかもしれない、内向きになるかもしれない」という予測を立て報告をした。おそらく外務省よりも早く。

2013年9月10日、オバマ氏が全米に向けたスピーチの中で「アメリカは世界の警察官ではない」と2度発言。その後中東地域において影響力が落ちる、すると他地域へ派生する。
なぜプーチン大統領は堂々とウクライナからクリミア半島を奪い取ることができたか?このことは日本にとってこの上ない生きた教訓になる。
ウクライナがソビエト連邦の一部だったことはご存知の通り。1989年ベルリンの壁が崩壊、1991年に旧ソビエト連邦が解体され15の独立国が誕生。ソビエト連邦の時にウクライナは黒海に面していたため軍港で、軍需工場の拠点として大量の武器・兵器・核装備があった。当然独立国になったウクライナはこれらを持っていようと考えたが3つの国(アメリカ、イギリス、ロシア)が反対した。旧ソビエト連邦を継ぐのはロシアだから戻して欲しい、と言われ丸腰のウクライナに移せば前出の3国でウクライナの国土を保全するという「ブダペスト合意」。少し遅れて中国とフランスも加わった。つまり国連の安全保障理事会の5大常任理事国全てがウクライナに「あなたの国土を我々が担保します」と約束したことになるにもかかわらず易々とロシアに取られてしまった。アメリカもその他の国も実質黙認した。

私達日本人はこのことを肝に銘じておくべき。
そして中国がこのことをどのように分析しているかを知ることが教訓になる。
中国共産党中央委員会機関紙「人民日報」とその兄弟紙(国際版)、「環球時報」があるがこの2紙の社説は中国共産党の考え方そのものだと言える。
クリミア半島併合について世界情勢をどのように見ればよいかを解説していた。
『ウクライナの側に全ての西側諸国がついた。けれども彼らはどの国としてロシアと事を構える気は無かった。ましてや戦争する気は全く無かった。従って西側諸国は国際法とか条約とか色んな美しい言葉を言ったがその言葉には何の意味も無い。ウクライナとクリミアの運命を実際に決めたのはロシアの軍艦と戦闘機とミサイルだ。』と書いてあった。
その後に中国紙はこうも書いた。『ウクライナとロシアとの間には決定的な力の差がある。圧倒的に強いロシアの言うことに弱いウクライナは従わざるを得ない。抵抗することもできないだろう。』
そして自国のことについても書いた。『中国と周辺諸国の間にはロシアとウクライナのように圧倒的力の差はまだない。しかしこれも時間の問題である。』やがて時間が経てば圧倒的な力の差が生まれるだろう、その時に中国の言うことにどの国も逆らうことはできないということ。
これはどの国を念頭に書いているのか?既に中国と東南アジア諸国との間には圧倒的な力の差がある。
前出の中国が念頭に置いている国とは我が国、日本である。
日米安全保障条約がある為にこの日米の軍事力に対して「まだ圧倒的な力の差はない」と言っているが「しかしこれも時間の問題」と言っている。
やがて中国が力をつけ圧倒的優位になれば中国の言うことに周辺諸国(日本)は従わねばならない。
ここでアメリカの現状を考えた時に国にお金が無い為に今後10年間で100兆円という大幅な軍事費の削減をする。アメリカの国防予算がざっと年間60~80兆円、これは世界中の軍事費の約半分。その内毎年10兆円削るということ。日本の防衛省の年間予算が4兆7千億円だということを考えるといかに巨額かがわかる。
これに対し中国がどれくらい軍事費を使っているか?公表されているものは約13兆円だが本当の所は25~30兆円は使っているだろうと言われていて、今年も公表値は12.7%の増加、実際には20%以上だろうと言われている。
つまりどんどん削減しているアメリカ、とんどん増加傾向を強めている中国、アメリカの軍事力に中国が追い付くのはいつかということがとても重要になってくる。
中国に対し日米の軍事力が優位性を保てるのもあと10年と言う専門家もいる。10年経てば状況はかなり変わっているだろう、もしかしたら10年かからないかもしれないという見方もある。

アメリカはシェールガスが採れるようになりシェールガス革命によりここ数年以内に世界最大のエネルギー産出国になるだろうと言われている。エネルギーが石油からシェールガスや天然ガスに切り替わっていくとアメリカにとっての中東の重要性が低下、そして15年後くらいには完全にエネルギーに関しては自己完結型の国になり、同時に世界最大の輸出国になると見られている。

技術に関してもアメリカは世界でトップ。特に若年層の人口が増えているのも先進国ではアメリカだけ。その他様々な分野において世界をリード。

しかしアメリカの“気概”の部分において「アメリカは絶対に出てこない」と中国が踏んだ時に侵略の手を伸ばし始めるということは考えられる。つまり南沙や西沙、インドやブータンで今起きていることが尖閣や沖縄で起きないはずはない。

今まで日本は日米安全保障条約がある為にいざとなったらアメリカが守ってくれると思っていた。だが今アメリカは「お願いだから日本と中国の争いにアメリカを巻き込まないでくれ」と言っている。これは戦後の日米の枠組みが180度変わってしまったということ。

孫子の兵法の第1条に「兵は詭道なり」とある。これは騙すことによって気が付かない内に相手の領土を取り、全てを奪い、取り終えているのが一番賢いやり方だというのが基本理念。

領土を守る為に関連法整備の必要性、集団的自衛権について、アジア安全保障会議で万雷の拍手が沸いた靖国参拝についての安倍総理の挨拶、オーストラリア議会での安倍総理の演説後に招かれた国家安全保障会議での意見交換後にアボット首相が述べた中国、韓国を念頭に置いた「日本は信頼に値する誠実な国である」という内容のコメントなどを詳細に紹介、インドでの考えられない中国の振る舞いについても話された。

現在オーストラリア、東南アジア諸国、インドという国々は皆日本の味方と考えて間違いない。彼らは「世界の警察官ではない」と言ったアメリカではなく愛され尊敬されている日本にこの地域で安全と平和と秩序を守る中核となって貰いたいとも思っている。

慰安婦問題の河野談話作成経過に関する検証結果の中で韓国と交渉しながら作成した河野談話そのものに「強制連行(した)」という文字は入っていなかった。つまり我が国の正式な政府の見解においては「強制連行」を認めなかった。
そして韓国政府の政治的要求で事実ではないことを入れさせたことが明らかに。それは韓国の慰安婦の人たちにお詫びも補償もしていない、たった7人にしかしていないと言われていたが実際には64人の人が日本円にして約500万円(韓国ではおそらく10倍くらいの価値がある)を受け取っていた。これがなぜ秘密にされたか?最初に受け取った7人が世間から「日本政府からお金を受け取るとは!」と批判され、その後受け取った人たちは秘密にしておいてくれれば貰うということになったから、つまり日本はきちんとお詫びをし補償もし、誠意を尽くしていたことも明らかになった。

今日本は甦らなければならないし、甦りつつあるのではないかと思う。
安倍総理には誇りある日本を取り戻したいという一念がある。
集団的自衛権が限定条件付きではあるが行使出来るようになるということは今まで出来なかった他国と共に日本を守る立場に立つことが出来るということ。

大きく変わった世界の中で私達が考えなければならないこと、出来ることがたくさんある。そしてその先に日本の未来がある。子孫の為にどのような日本を残すのか、今こそ日本人としての矜持を問われている気がした。
もっともっと真剣に我々一般国民こそが外交、防衛(国防)という一見関係なさそうに感じることに関心を持ち、意思を持ち、国の未来の形を考える必要があり、「変わるのは今しかない」のかもしれないと考えさせられた講演だった。

佐々木常夫先生の講演を聴いてきました2014/09/19

7月15日(火)に都内ホテルで弊社お得意様ご主催の講演会で佐々木常夫先生「個人も会社も成長するワーク・ライフ・バランス」というテーマでの講演を聴いてきました。

写真は控え室で著書にサインをされながら主催ご担当者様との打合せをされている所です。

登壇後、実は3月に足を骨折し手術、埋め込んだプレートを抜く手術をする為に今日入院し、医師に自宅へ忘れ物を取りに行くと言い外出許可を貰いここへ来た。講演に行くと言うと怒られますから、と。

ご自身の経歴に合わせご家族の様々なこと。
子供が長男、次男、長女の年子で3人、ハネムーンベイビーのご長男は自閉症という障がいを持っている。完璧主義の奥様はご長男の障がいでも悩まれ鬱病に。その後様々な病気も含め何度も入退院を繰り返され、仕事も家事も両方やることに。
自分の家族の為に時間を作らなければならない。

ビジネスは「予測のゲーム」、これが起きたら次に何が起こるかを予測し先手を打つ。

「ワーク・ライフ・バランス」とは日本語で「仕事と生活の調和」。自分の仕事を定時で終えて自分の生活を充実しようということではない。
たとえ定時に帰ってもちゃんとそれ以上の結果を出さなければならない。それにはきちんとした「タイムマネジメント」が必要。これが全ての基本。

課長になった38歳から社長を辞めるまで「仕事の進め方基本10ヶ条」(詳細は省略させて頂きます)を毎日のように部下たちに言ってきた。良い習慣は才能を超えると思っている。能力が無い人でも良い習慣を身に着けることで毎日確実に成長し、才能ある人を抜いて行く。

以下要約(一部)
・仕事にデッドライン(締切)を決め自分を追い込んでいく。最短コースをいく。
・仕事は「頑張りました」「努力しました」では済まない。結果を残さなきゃいけない。結果で評価されるということ。
・資料3枚は簡単、1枚は難しい。メールも同様。”Simple” is “best”. 
・ひとつ上(ポジション・課長なら部長)の視点で仕事をする。
・自分を大切にするということは人を大切にすること

佐々木先生の処世訓
礼儀正しさに優る攻撃力は無い。これ一本で役員(リーダー)になれると部下に言ってきた。幼稚園で教わったことをきちんと出来る人。つまり、人に会ったら挨拶しなさい、みんなと仲良く遊びなさい、仲間外れを作ってはいけません、嘘をついてはいけません、間違ったことをしたら勇気をもって「ごめんなさい」と言いなさい、というたったこれだけのこと。
・本をたくさん読もうが、研修を受けようが、いい話を聴こうが自分に落とし込まなければ意味が無い

「ワーク・ライフ・バランスを実現する仕事術」
仕事で大事なものは計画、効率、時間
・計画先行・戦略的仕事術
・時間節約・効率的仕事術
・時間増大・広角的仕事術
あえて詳しくは書きません、少しだけ。

2段上の上司と上手く付き合うことで1段上の嫌な上司を飛ばしてもらうことが出来る。
仕事時間が8時間と10時間の人、どちらが勝つか?
普通にやれば当然10時間。8時間が勝つためにはやり方を考えなければならないということ。

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が好きではないので「ワーク・ライフ・マネジメント」という言い方をしている。

リーダーの定義は「その人と仕事をして勇気と希望を貰える人」。新入社員にも課長にもこういう人はいるし、主婦にも障がい者にもいる。

着任して約2か月で残業が無くなるが、転勤すると元に戻る。後任はやらない、部下たちも主張しない。行くところ行くところ全て元の木阿弥。会社は変われない。

会社が変わろうと思ったらいくつかの条件がある。
トップの意識と行動。それをやらないのは経営の怠慢。ただ号令を掛けてもダメ。具体的なしくみを作ってやらなければ社員はやらない。

マネージャー(管理者)はきちんとした自分の考えを持つこと。
部下は仕事を始める前に様々な事情を抱えているという前提でコミュニケーションを取り信頼関係を築くことが仕事の効率化に繋がる。
例えば部下との2時間の面談の中で最初の1時間はプライベートなことを聞き、何か出来ることはないかと家族同様に想っていることを伝える。そしてここで話したことはどこにも漏れない。これを続けると自然に信頼関係が構築される。

人に合わせた対応が重要。構成しているトップクラスの人間の面倒ではなく、大事なことは少し遅れがちな人を引き上げること。
管理者の責任は構成する全体の和を最大限に持って行くこと。
トップクラスの人間は元々頑張っているのだから伸ばせても5~10%。遅れてる人の面倒を看ることは20~30%伸ばすことになる。

管理者は忙しくしていてはいけない。時間的(精神的にも)余裕を持ち悠然としていなければ部下は相談に行けない。

よく言われる「部下は叱るより褒めろ」「リーダーは暗くなるな、明るくなれ」。しかし組織の中で働くということは全部さらけ出して生きるということ。怒りっぽい人は怒ればいい。褒めるのが好きなら褒めればいい。ただ、褒めてばかりは全然効果無し。つまり見抜かれているので隠しても演技しても仕方無い。自然体で。
大事なことはこの組織の目標・目的を達成しようという部下の成長に資す、貢献しようという志さえあれば付いて来るはず。

リーダーシップとは
・現実把握力・・・真実を掴む
・強固な意志と粘り強さ・・・結果に拘る
・大きな包容力・・・人さまざま、違いを認め強さを引き出す
・真摯であること・・・ゆるぎなき倫理

会社の目的は“利益”だけではない。しかし会社が存続する為の条件。会社というのは世の為、人の為、社会的貢献をするというゆるぎなき意義が無ければ潰れてしまうリスクを持っている。まさに食品偽装事件などは典型例。

最後に。人は何故働くのか?社会に貢献し、自身が成長することで自己実現欲求を満たすこと。頑張っても結果が出ないかもしれない、でも頑張らなかったら結果は出ない。と結ばれた。

私も我がことに置き換え咀嚼し自分に落とし込めるよう、今まで以上に社会に貢献できる会社にしよう、人になろうと思いました。

私が講演を拝聴し、弊社が創立以来初めて採用する新卒内定者で来春入社予定の我が“娘”たちに佐々木先生の著書「働く君に贈る25の言葉」を是非読ませたいので購入したい旨先生にお伝えしましたら「それなら私からプレゼントするよ。」と快く仰って下さいました。
大変恐縮致しましたがお言葉に甘えさせて頂きました。
佐々木先生に心よりお礼申し上げます。ありがとう存じます。
きっと彼女たちの心に残り、自分に落とし込める珠玉の1冊になることでしょう。

小倉智昭先生の講演を聴いてきました2014/09/11

7月9日(水)に都内で弊社顧客様ご主催の講演会で小倉智昭先生の「小倉流 楽しく生きる処世術」というテーマでの講演を聴いてきました。

登場の際の拍手に「EXILEでもないのに盛大な拍手で迎えて下さり、ありがとうございます。」という一言で軽く笑いを取り、「皆さんに何を聴きたいかアンケートを取ったら番組の裏話とか、誰と誰が付き合ってるとか面白い話が聴きたいと。ツイッターやフェイスブックをおやりになってる方がいらっしゃったら今日は勘弁して下さい、裏話ですから。」と釘を刺されスタート。

取捨選択が非常に難しいのですが私の判断で大丈夫(?)なものだけ書きますが、もしかしたら小倉先生にとってはマズいことも・・・と思いながら。

看護師で助産師だったお母さんが「産まれるから!」と、お母さんの指示通りお父さんが取り上げられたこと、食べられなかった秋田の子供時代のこと、どもりで(今でも気が緩むとどもるそう)苦労したこと、TV東京(当時は12チャンネルと言われていた)の最終面接で「なぜアナウンサーを志望したのか?」と訊かれ「どもりを子供の頃から馬鹿にされ悔しくて受けました」と答えて採用された。温情だったのかもしれない。その頃「た」行がどもっていた。当時総理大臣が田中角栄氏でニュースを読む時「んっ・・田中総理大臣」というように変な間があって読んでいると時間が足りなくなって少ない秒数の中で無理矢理原稿の文字数を入れようとして超早口で読み、息継ぎが上手くいかず気を失い先輩に「どうした?」と訊かれ「どもりで」とは言えないので「朝から39度の熱があって」と答えると小倉は入社したばかりの新人なのに高熱を押して仕事をやり意識朦朧としている中、最後まで時間通りにニュースを収めたと言われ“伝説の男”になり評価が高くなった。というように私の人生いい加減なんです、と。
競馬中継をやり早口で日本一と言われ、この頃は「か」行がどもり、強かった馬に「カネミノル」や「カネイコマ」などがいて実況をやっている時先頭に立つと言わない訳にはいかない。どうしたか?苦肉の策で「郷原右にうち飛んだカネミノル」などとジョッキーの名前や馬の脚色、動きなどをプラスして馬の名前を言う実況をやった。そうしたら「天才」と言われた。

後に大橋巨泉氏にニッポン放送の競馬の総合司会をやらないかと声を掛けてもらい、「大橋巨泉事務所に入ってタレント司会者としてやっても、ニッポン放送のアナウンサーでやってもいいよ」と言われどっちが条件的に良いか聞くと「歩合制のタレントになれば働いただけ貰えるから」と大橋巨泉事務所に入ったら土日の競馬以外仕事が無い。対する巨泉氏は多くのレギュラーを持ち1本の番組のギャラを300万円貰っていた。その巨泉さんが初めて引き抜いたタレントだと公言していた「小倉智昭」に仕事を回してくれるのかと思っていたが「他に能力があるなら使ってやるが競馬で取ったのだから今は一生懸命競馬をやれ」と言われ仕事はくれない。確かに土日の競馬だけやってサラリーマン時代の給料くらいは貰っていたが、当時様々な個人的な事情があり給料をもらうと2日後には無くなるので年中事務所に前借りしたり持っている物を質屋に入れたりして8年。この間電気、ガス、水道全て止まったこともあった。水洗トイレには困ったが近所の公園で済ませたりした。

そういう時期を経て大橋巨泉の『世界まるごとHOWマッチ』のナレーションを務め、番組内でも「小倉は、小倉は」と言ってくれたのでナレーションだけのギャラが森重久彌氏や石坂浩二氏と同じ位まで上がり、顔も出して司会もするようになったが司会のギャラがナレーションより安かった。「俺は顔を出したら安いのか」と思ったこともあった。

今は月曜日から金曜日まで番組を35年くらい続けている。半ばサラリーマンのような生活だが「とくダネ!」の日は築地の河岸に行く人よりも少し早い朝3時に起きて、5時に自宅を出るまでに糖尿病なので血糖値測ったりインシュリン打ったりやることが一杯ある。「とくダネ!」の視聴率の話、実名は内容的に出せない同業の二人のMさんやTさん、Fさん、Kさん、Sさんの話、「とくダネ!」歴代アシスタントの話、辛うじて披露できそうなネタは皆と雑談している中で「日本の裁判は3回(地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所)あるからな」という話をしていたら菊川怜さんが「えっ裁判って3回あるんですか?」と訊くので「東大ではそんなことは習わないの?」と聞き返すと「ええ、私はセメントの方ですから」と答えた。わからないことを恥ずかしがらずに人に訊ける所が凄い。決して計算して笑いを取っている訳ではなく、結果的に笑いを取ってしまう。他にも彼女の面白い話はたくさんありましたが申し訳ございません、書けません、お察し下さい。

交友関係の話。
安全地帯の玉置浩二氏とのこと、彼のメールの最後には必ず「愛してます」と入っている。彼は誤解され易いが小倉氏の言葉を借りれば「才能あふれるとってもイイ奴」。ただ芸能界という所はなかなか正当に評価されない。往々にして良い人が悪い人になったり、その逆になったりすることが多いような気がする。

今年15周年を迎える「嵐」のメンバーとのこと。事務所の教育が行き届いているのかジャニーズ事務所のタレントさんたち皆に共通する礼儀正しさが彼らにも備わっている。
メンバー全員とても仲が良くどの番組でもコンサートでもいつも控え室は大部屋で一緒、座る場所まで決まっている。普段仕事を離れるとメンバー同士はご飯食べたり、遊びに行ったりということはしないが、一緒に番組をやっている時には小倉氏が音頭を取りメンバー全員とゴルフやカラオケに行った。「嵐」はカラオケでも「嵐」の曲を振り付きで歌う。
コンサートに行ったことがあればわかるがスクリーンに歌詞を出す。これは歌詞を忘れることがある相葉君のため。
小倉氏の経営する中野坂上の焼肉店に二宮君は時々来てくれる。まだ店の隣にコインパーキングがあった頃、「今駐車場なのでこれから行きます」と電話があって15分後に来店。「遅かったね、車どこ駐めたの?」「歩いて15分位のコインパーキングです」「隣空いてなかった?」「おぐさん(小倉氏のこと)とこの隣の駐車場は高いから」と言う実にしっかり者。
相葉君の実家は幕張の方で中華料理屋をやっていて、幕張近辺でイベントなどがあるとよく寄る。他のメンバー曰く「旨いのは春巻きだけ」、でもそんなことはない、安くて美味しい。相葉君にそっくりなお兄ちゃんとご両親でやられている。ジャニーズ非公認(?)の“相葉ちゃんグッズ”の販売もしている。
ハワイでデビューした「嵐」。リーダーの大野君はハワイに行く前、辞めてコンビニの店員になろうと真剣に考えていた所に「最後だから記念にハワイに連れて行ってやるよ」とジャニーさんに言われ、ホノルルに着いて今までバラバラに活動していてお互いを知らない5人が集められて「君たち今日から“嵐”だから」と言われデビュー。「とくダネ!」が始まった年にハワイから中継をやった。

最後にお世話になっている大橋巨泉さんのこと。
結婚の時の媒酌人。奥さんの大学卒業を待って結婚。挨拶で「14歳(巨泉さんと奥さんの年齢差)まではまともな結婚だが15歳(小倉氏と奥様の年齢差)は“幼女誘拐”」と言った。
また、主賓に当時12チャンネル(現TV東京)のお世話になった局長にお願いしようと思って相談したら、「HOWマッチやってるんだからTBSの編成局長だろ」と言われ、一度も面識も無いのにご招待して主賓の挨拶をして貰ったら「僕は一度も小倉君に会ったことがありません。何故披露宴に呼ばれたのか意味すらわからない」と言われた。
そうこうあって巨泉さんから「(披露宴が3時間を過ぎ)長いから中締めの挨拶をしろ」と言われ「結婚披露宴で中締めってあるんですか?」と聞き返すと「みなさんお忙しいだろうから」と言われ仕方なく中締めの挨拶をした。幸い500名ほどのお客様は皆さんお帰りなられる方もなく無事お開きとなり、出口の金屏風の前でお客様のお見送りの時に何と巨泉さんではなく同じ顔をした事務所の社長でもある弟さんご夫婦が並んでいたので「巨泉さんは?」と訊くと「(披露宴が長いから)帰った」、と。

くれぐれも今日の話は、ね、よろしくお願いします。と思いきり“口外禁止”をお願いされ講演を終えられた。

書けないことがたくさんあり過ぎて大変申し訳なく思いますが、そこをお知りになりたい方は是非ご依頼頂き100%モザイク無しの講演をお聴き頂ければと思います。
さすがに飽きさせずに楽しい90分でした。

『新着講師』北原佐和子先生の講演を聴いてきました2014/08/26

6月21日(土)に都内で弊社お得意様ご主催の講演会で北原佐和子先生の「認知症介護 私の一歩」と題しての講演を聴いてきました。

プロフィールには載っていない部分を改めて自己紹介。アイドル歌手でデビュー、同期に小泉今日子さん、シブがき隊(布川敏和さん、本木雅弘さん、薬丸裕英さん)、薬丸裕英さんの奥さんの石川秀美さん、早見優さん、堀ちえみさん、松本伊代さん、三田寛子さんがいた。
並行して女優の仕事も。

そして月日を重ね年齢と共に役者としての役が変わって行く現実がある。子供を持たない自分には本当の母親の気持ちは理解できないというような順応できない自分がいる。そして女優という仕事を一生続けていけるのか、この10年深く考えるようになった。同時に「もし仕事が無くなってしまったらどうしよう」と不安にもなった。
でも女優として演じている時には女優業を大好きな自分がいる。ならば女優という仕事は辞めたくない。けれど忙しい時には寝る間も無いほどだが、それが終わると3か月も全く仕事が無いときもある。こういう時に「自分は必要とされていないのでは?私がいなくてもいいんじゃないか?」などと思い苦しい時間があったが、逆にその空き時間を使って何か出来ることはないかと考えるようになった。しかし10代からこの仕事しかやったことがないので手に職もなし。

そうしている時に介護に結び付く3つの小さな出来事があった。
1つ目は20代の前半に友人から頂いた障害者の方が作ったお皿、なんでもないお皿だったがなぜか温かく癒されたこと。
2つ目は大雨の日に出会った四肢麻痺の方。大雨の日、友人を車の中で待っていた時この方が傘を差して車の脇を一生懸命に歩いていたが全く傘の意味をなしてなくずぶ濡れ、そして大通りでタクシーを拾おうとしているが捕まらない、その姿を車の中から見ている自分は一体何をしているのだろう?車の中でこのままでいいのか?と自問し、居ても立っても居られず気が付くとその方の横に車を付け、「乗って下さい」と声を掛け助手席に回って手伝おうとしたら「手伝いは要らないです」とはっきり断られた。車に乗る際に掴むところが決まっているのかドアを掴み、シートを掴み懸命に乗り込んでいた。車中では色んな話をたくさんしてくれ「私はこのような体ですが神田まで通勤しています。でも通勤に時間が掛かってしまうので正味2~3時間しか働いていません。そんなことを週に2~3回やっています。」と話してくれほどなくご自宅へ着き、ドアを開けると傍にある金網にしがみつくように自身の体を支えながら家へと入られた。その姿を見、何て逞しいのだろう、それに引き替え自分は数か月仕事が無いだけで凹んでいる。もし同じ立場だったら四肢麻痺の方と同じように日々逞しく過ごせるのかと考えさせられた。
そして3つ目は友人の子供でダウン症のとても優しいてん君との出会いがあったこと。

3つとも遠い昔の出来事だがずっと忘れずにいる自分がいることに気付き介護の現場で働きたいと思うようになった。
色々調べてまずはヘルパー2級の資格を取ることからだと思い取得。
次は実際に働くこと。しかしどこにどうやってアプローチしていいのかが全くわからない。施設の詳細がよくわかる「介護ナビ」という本を出していた友人に相談。
施設を探すに当たり条件を付けた。1つ目は入浴介助のない施設、2つ目は夜勤対応ではない施設、認知症対応ではない施設、且つ女優の仕事も出来る所。
今考えるとよくもそんな条件を付けていたなと自分でも呆れかえるようなこと。
なぜそんな条件を付けたのか?入浴介助の後に女優の仕事があると化粧がボロボロで仕事に行けない、夜勤対応は昼夜逆転し体を壊したり肌にも良くないと思い、認知症対応は全く想像もつかず意思の疎通が図れず無理だと思ったから。
こんな自分を引き受けてくれたのはたった一つの施設だけだった。入浴介助あり、夜勤対応あり、認知症対応の施設。全ての条件は却下され、ここしかなかった。こうして介護の世界へ。

民家を利用した施設、最初の3か月は掃除ばかり。「なんで掃除ばっかり?」と思ったが利用者の方々にとって大事な衛生管理だと気付かされ、この間介護日記を細かく付け読み返すことでたくさんの気付きや発見があった。
食事、散歩、入浴、排せつなどを介しての利用者の方々とのエピソード、うまくできた時や喜んでもらえた時の嬉しさは施設で直に利用者の方々と触れ合うことでしか実感できない。

我儘な条件を付け施設を探していた自分を恥じ、利用者の方々と真摯に向き合うことで良い時間を過ごすことが出来るようになり、生きているという実感、わかり合える喜びを得られた。

施設で働くようになり3か月経った頃、ある研修で「あなたは認知症になると思いますか?」と問いかけられ、ビックリしたのと同時に心の中で「ない、ない、あり得ない」と思っている自分がいた。さらに「自分がもし認知症になったら今の施設に入りたいですか?」と問われ、「いえいえ私認知症にならないから入りたくないです」と心の中で答えていた。その日の夜その言葉が頭を離れずなかなか寝付けなかった。自分が認知症にならない保証なんて無い、認知症になる可能性があるんだということを認めざるを得なかった。だとしたらもし自分がそうなった時にどう対応してもらいたいかということを顧みた場合に、より深く理解し尊重してあげられるように考えなければならないのだと。
そうすることで不安が軽減され笑顔に繋がる日々が得られるかもしれない。

最後に現在も「あなたは認知症になると思いますか?」という問いかけに対し深く思い悩んだ自分がいたことを忘れることなく施設で働いている。そして「これからも変わることなく忘れることなく生きていきます。」と笑顔で言われた。

講演が終わり北原先生と少しお話させて頂き、原稿はお持ちになり登壇されましたが全くそれに目をやることなく非常にお上手でしたので今回の講演が2回目だと聞き驚きました。正直な所女優さんですから。が、やはりご自身がやりたい、やろうと思われ、実際にやっておられるその実体験に基づいた話ですのでとてもリアルで非常にイメージし易かったのできっとお聴きになられた方々の心にも浸み込んだことでしょう。

介護の話もさることながら、自分が必要とされる人になる為、生き甲斐ややりがいを見つける為にどのように自分自身と向き合うべきかなど多くのことを教えられた。

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