1968年、秋田市生まれ
12歳で水泳界に彗星のように登場。またたく間に平泳ぎ日本一となり、小学生で初の五輪代表(1980年、幻のモスクワ五輪)となる。
1984年ロス五輪では、平泳ぎ100m 6位、200m 4位とともに入賞。
1985年から7年間米国留学。現地の高校を経て、カリフォルニア大学ならびにブリガムヤング大学にてスポーツビジネスを学ぶ。
1988年には三度目の五輪(ソウル)代表となる。
引退後、日本オリンピック委員会勤務を経て、スポーツ相談所「ゲンキなアトリエ」を設立。トップスイマーとしての経験、日本人初の国際オリンピック委員会選手委員としての業績を活かし、スポーツコンサルタントとして活動、水泳教室「SWIM TO SMILE!」をはじめ、講演会「HIROKO TALK」を求めに応じて開催し、より多くの人々にスポーツの楽しさを伝えている。
また「スポーツ子育て」、「スポーツ英会話」などスポーツを利用した教育を提案、実践している他、1995年停戦直前のサラエボで子供のためのスポーツ大会を開き、1996年にはサラエボの子供たちを日本に招くなど、スポーツによる社会貢献プロジェクトにも取り組んできた。
1998年10月から「長崎宏子のベビーアクアティクス」を開校。
自ら主宰する0歳からの水泳教室が「子育てスイミング」として盛況。
これまでに2,500組を超える乳幼児とその父母に笑顔溢れるアクアスペースを提供している。
2001年春竣工した秋田県立総合プールの名誉館長に就任。直接指導を含むアドバイザリーサポートにより、プールの有効活用に献身している。
ライフワークとして追求している「水と人とのふれあい」の大切さを伝えるために、新聞、雑誌、TV、ラジオなどにも出演。
講演活動にも積極的に取り組んでいる。