1968年11月7日生まれ。愛知県知多市出身。
愛知工業大学名電高等学校卒業。
中日ドラゴンズ(1987年~2002年)※1986年ドラフト2位
オリックス・ブルーウェーブ(2003年~2004年)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年~2011年)
中日ドラゴンズ(2012年~2013年)
<通算成績> 2,249試合 1,834安打 403本塁打 1,205打点 打率.257
<獲得タイトル> 本塁打王2回、打点王1回、その他
「ジャイアン」の愛称の通り豪快なホームランとその性格で多くのファンから愛された大打者。
小学4年生から野球を始め、中学時代は本塁打を打ったことがなく、大会も1回戦負け。高校も強豪・愛知工業大学名電高等学校に進学するが、甲子園への出場経験はない。
1987年に愛知工業大学名電高等学校からドラフト2位で地元・中日ドラゴンズに入団。アメリカやドミニカへの留学などを経て、プロ10年目の1996年にレギュラーに定着。するとその年に、松井秀喜氏との壮絶な争いを制し本塁打王を獲得。
2003年からオリックス、2005年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの創設メンバーとして活躍。創設期から主将を務めるなどチームを支え、2007年には39歳で2度目の本塁打王を獲得、打点王と合わせて2冠王に輝いた(両リーグでの本塁打王獲得は史上3人のみ)。
また35歳を過ぎてから生涯通算本塁打(403本)の約半分を放つなど、衰え知らずのホームランアーティストとして名を馳せ、「中年の星」として大きな支持を集めた。
2012年から古巣の中日ドラゴンズに復帰。翌2013年に現役引退。
引退後は野球解説者・スポーツコメンテーターとして活動する傍ら、講演会の講師やイベント出演なども積極的に取り組む。
さらに、引退後も「挑戦する気持ちを持ち続けていたい!」という思いから、OTG TN滋賀86(株式会社滋賀トヨタ)のレーサーとして、TOYOTA GAZOO Racing 86/BRZ Raceクラブマンクラスにも参戦している。
現役時代から慈善活動など社会貢献活動にも積極的に取り組んでおり、毎年1回「東日本大震災みやぎこども育英募金」に寄付を続けている。
また毎年年末には「がんばろう東北!東日本大震災復興支援 山﨑武司チャリティーゴルフコンペ」を主催、チャリティー企画をプロデュースし、自身が復活を遂げた宮城、東北への恩返しを続けている。
2021年2月1日よりYouTube「山﨑武司チャンネル」配信開始。