中学1年生からバレーボールを始め、全国都道府県対抗中学バレー大会に熊本選抜で出場し、一躍オリンピック有望選手に選出された。
扇城高等学校(現・東九州龍谷高等学校)では春高バレー準優勝、インターハイ3位。
1989年 世界ユース選手権3位、アジアユース選手権優勝。
1990年 アジアジュニア選手権優勝(サーブ賞受賞)。
1991年 世界ジュニア選手権3位
1991年 名門日立に入社。
1991年、1999年 ワールドカップ出場
1994年、1998年 世界選手権出場
2000年 全日本のキャプテンとして同年5月に右肘じん帯断裂をおし、シドニー五輪予選に出場したが、出場権獲得にはならなかった。
2001年 日立の廃部に伴い、東洋紡へ移籍。
2002年 東洋紡の廃部に伴い、JTマーヴェラスへ移籍。
2005年 第12回Vリーグにて、Vリーグ通算ブロック決定本数601に伸ばし、史上初めてブロック決定本数600の大台に乗せた。
2007年5月 黒鷲旗大会を最後に16年間の現役生活を終える。
2008年~2015年3月 名城大学男子バレーボール部コーチ就任、後進の育成にもあたる。
2015年 愛知学院大学卒業
元全日本バレーボール選手。高いブロックが武器のスマートなセンタープレイヤーとして、世界選手権、ワールドカップでチームに貢献。バレーボール選手としては長いと言われる16年間を現役選手として活躍。現在は小学生から大学生、ママさんチームのバレーボール指導に全国を飛び回る。