千葉県習志野市出身。
習志野市立習志野高等学校を卒業後、1989年ドラフト外でヤクルトスワローズへ入団。
同期入団の古田敦也捕手に次ぐ2番手保守として野村克也監督からID野球を叩き込まれ、自身も毎日試合後に行われる講義を熱心に聞き、その技術を取り込もうとしていた。
ヤクルトスワローズで9年間プレーした後、日本ハムファイターズに移籍。以降、4年間捕手として活躍。オールスター戦へも出場。
2003年、保守不足に悩んでいた阪神タイガースの坪井智哉選手との交換トレードで、阪神タイガースへ移籍。岡田彰布監督の下で矢野燿大選手との併用起用で5年間活躍するもFA権を取得し、プロ野球生活最後は関東のチームでプレーしたい本人の気持ちに、捕手の補強に重点を置いていた横浜ベイスターズが応え、2009年に横浜ベイスターズへ移籍。2年間プレー後に現役を引退。
引退後は、野球解説者や少年野球の指導者として活動。
2017年、2018年の2年間は東京ヤクルトスワローズのバッテリーコーチに就任。1年目は2軍、2年目は1軍のバッテリーコーチを務め、2019年から再び野球解説者として各メディアで活動中。