1965年3月8日生まれ。神奈川県横浜市出身。横浜高等学校卒業。
元プロボクサーとして活躍。現役時代はヨネクラボクシングジムに所属。WBC世界ストロー級ならびにWBA世界同級王座を獲得。ミニマム級、ライトフライ級で活躍するも、ライト級に匹敵すると言われた強打が武器でボディブローは絶大な威力を誇った。
現在は、大橋ボクシングジムの会長を務める。
1985年 プロデビュー。「150年に1人の天才」と言われた。
1986年 プロ6戦目で日本王座に初挑戦、10回判定勝ちで王座を獲得。(防衛することなく返上。)
7戦目で世界に初挑戦。敵地で王者に挑むも5回TKO負けとなる
1988年 日本王座再挑戦を挑み、1年半ぶりに返り咲きを果たす。(防衛することなく返上。)
世界に再度挑戦を果たす。3度のダウンを奪われながらも追撃。その後、8回TKO負けとなり世界王者獲得とはならず。
1990年 WBC世界ストロー級チャンピオン
1992年 WBA世界ストロー級チャンピオン
1994年 引退表明と共にボクシングジムを開設。後継の指導に当たるとともに、テレビ中継や解説でも活躍。
2007年4月1日~ 東日本ボクシング協会会長、
2010年4月1日~ は兼務する形で日本プロボクシング協会(JPBA)会長に就任。
2013年~ 日本ボクシングコミッション(JBC)理事も務める。
<学生時代>
保土ヶ谷中学校在学中から地元の協栄河合ジム(現:オーキッド・カワイ・ボクシングジム)に所属。
高校は横浜高等学校へ進学。海藤晃氏の指導を受け、2年生でインターハイ・モスキート級を制覇。
その後、専修大学に進学するも中退。1年時にはロス五輪予選を兼ねた全日本選手権へ出場するも、黒岩守氏に敗れ五輪を逃す。
<プロボクサー時代>
1985年2月12日 プロデビュー。キャッチフレーズは「150年に1人の天才」。
※具志堅用高氏の「100年に1人の天才」を超えるという意味でそう言われた。
1986年6月23日 プロデビュー6戦目で日本王座に初挑戦。空位のライトフライ級王座を争い10回判定勝ち。
王座獲得に成功する。しかし、その後1度も防衛することなく王座を返上。
1986年12月14日 続く7戦目で世界に初挑戦。敵地でWBC世界ライトフライ級王者に挑むも5回TKO負けで王座獲得はならず。
1988年1月11日 日本王座に再挑戦を果たす。ライトフライ級王者に挑み、10回判定勝ち。
1年半ぶりの王座返り咲きを果たすが、その後1度も防衛することなく王座返上。
1988年6月27日 後楽園ホールで行われた世界再挑戦。3回、3度のダウンを奪われた直後に右の強打をアゴにクリーンヒットさせ、王者を大きくグラつかせた。しかし、追撃及ばずその後4度のダウンを追加された末の8回TKO負けで、またしても世界王座は獲得ならず。
1990年2月7日 階級を1つ下げてミニマム級での世界挑戦。後楽園ホールでWBC世界同級王者に挑む。
当時、日本ボクシング界は世界王者不在の状態が続いており、国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗回数も「21」にまで伸びていた。それだけに、「日本ボクシング界最後の切り札」として期待は非常に大きかった。試合は一進一退の攻防に終始。最後は左のボディブローでダウンを奪い、そのまま10カウント。この瞬間、世界挑戦連続失敗記録にストップがかかり、日本ボクシシグ界に1年3か月ぶりの世界王者が誕生した。
1990年6月8日 初防衛戦で12回判定勝ちを収める。
1990年10月25日 2度目の防衛戦ではアマ・プロ通じて66戦無敗の選手と対戦し、4回と5回に計3度のダウンを奪われた末の5回TKO負け。8か月半で世界王座を手放した。
1992年10月14日 2年ぶりの世界戦に挑戦。両国国技館でWBA世界ミニマム級王者に挑む。無敗の王者と積極果敢に打ち合い、12回判定勝ち。世界王座返り咲きを果たした。
1993年2月10日 初防衛戦。東京体育館で無敗の指名挑戦者と対するも、12回判定負けを喫し王座陥落。
試合後、一時は現役続行の意思を示すも、その後眼疾が発覚し、最終的には引退を決断。初の世界王座獲得から4年後の1994年2月7日に引退表明。同時に、ジム開設の発表。
<引退後>
大橋ボクシングジムの会長として、4人の世界王者を輩出。
川嶋勝重氏 … WBCスーパフライ級
八重樫東氏 … WBAミニマム級、WBCフライ級、IBFライトフライ級
宮尾綾香氏 … WBA女子ライトミニマム級
井上尚弥氏 … WBCライトフライ級、WBOスーパフライ級
2007年1月3日開催の「ボクシング・グランプリ2007」にて日本代表の総監督を務めた。
東日本ボクシング協会会長就任後、日本プロボクシング改革路線を掲げ、積極的に動いている。
女子の解禁やスーパーミドル級以上のランキング創設(このうちヘビー級のみ復活)などをボクシング界に
働きかけ、実現に至らせた。
日本プロボクシング協会会長就任に当たり、「プロボクシング・世界チャピオン会」発足を提案。
プロアマ問題の解決や「日本ボクシング殿堂」の実現へ向けての活動も行っている。
また、ボクシング中継の解説者としてメディアでも活躍をしている。
<戦績>
24戦19勝(12KO)5敗