2月23日鹿児島での大林素子(おおばやしもとこ)先生の講演会に「講師同行サービス」をお使い頂いて同行し講演を聴いてきました
23日10:30からの講演会で、鹿児島空港から車で2時間30分以上掛かり、当日移動では間に合わないため前日22日に鹿児島入りしました。もちろん大林先生のKマネージャーもご一緒でした。
当日7:30にホテルを出発し会場に着いたのが9:50くらいでした。本当に遠い、でもお天気にも恵まれ自然豊かな景色を道中堪能することができました。
主催者の皆さんに大歓迎して頂き、楽屋では色紙にサインをされたり、主催者と歓談されたり、楽屋の外でバレーボールを持った女子中学生が立っていると、Kマネージャーが声を掛けてあげ楽屋に招き入れボールにサインをして写真を一緒に撮ってあげたりと、とても細やかに気遣って下さいました。
講演はといいますと、「マイ・ドリーム」という演題で、始まってすぐにずっと182cmだと思っていた身長が昨年TV番組で人間ドックを受けた際に測ったら183cmで「もしかして46歳でまだ伸びてる?」と思ったと言いながら壇上からマイクを持って会場へ降り、お客様方と背くらべをされ場内を盛り上げたのはさすがです。
「ソチオリンピック」の話、メダルを取ることの難しさ、自身はソウル、バルセロナ、アトランタの3度のオリンピックを経験したがメダルは取れなかったことなど話された。
自身の夢は「オリンピックに出ること」と「歌ったり芝居したりアイドルのようになりたかったこと」だったそうです。
生まれたときは47cmくらいで普通だったのが幼稚園では頭1つ大きく、小6で170cm。やはり「デカい」といじめられ、いじめっ子男子4人組に「大林と書いて“デカばやし”」や「ジャイアント大林」と言われたり、日直で「起立、気を付け、礼、着席」と言って座ると必ず後ろの男子に「大林さん座ってくださ~い」「座ってますけど」という漫才のようなやり取りがあったりして、元々おとなしかったので背を丸めて歩き、どんどん内向的になっていき引き籠りの一歩手前だった。
そんな時にTVで「サインはV」「ミュンヘンへの道」「アタックNo.1」を観て、「バレーボールは背が高い方が有利なんだ、バレーの選手になってオリンピックに行っていじめっ子男子4人組を見返してやる」と思ったのがキッカケで中1からバレーを始めた。
元々運動が得意ではなかったので練習が苦痛で休むようになり、「明日でいいや」と逃げてしまった。スポーツは特に毎日のコツコツが大事なのに週一しか部活に出ない。秋の初公式戦、試合前の練習を見られ下手な私が試合で狙われ標的に。試合開始直後に連続でサーブを空振り。普通ならここで監督はメンバーチェンジだが最後までしなかった。他に入りたい人が20人もいるのに。当然私はネットの前に行かされ「見えないからしゃがんで」とチームメイトから言われ、ハイタッチの輪にも入れてもらえず、当然ボロ負け。試合終了後ミーティングで落ち込んでいる私に監督が「お前、何で落ち込んでいる?落ち込んだり反省したりということはそれだけ練習した者がすることだ。練習していないお前にその資格は無い。」と。そして「バレーは6人でやるもの。全員が調子良いことはない。一人が調子悪い時に他の5人がどう頑張るかも見たかった。」と言われスポーツに向き合う姿勢を教わり、お蔭で中2からガラリと変わってもっと上手くなり強くなるように他人より1回だけ多くサーブも腕立てもランニングも練習しようと思って引退するまでそれをやった。たったこれだけのことが大きな差になる。
日立のお膝元小平市で育ち、子供の頃から江上由美さん、三屋裕子さん、中田久美さんに憧れ、ファンレターを江上さんに書いたらある雑誌に毎日段ボール一杯ファンレターが来るとあり、方針変更して監督はさすがに少ないだろうと考え山田重雄監督にプロフィールみたいな質問形式のファン(?)レターを送ったらある日山田監督から自宅に電話が掛かってきて「一度遊びにおいで」と言われバレー部全員で遊びに行ったら「練習していきなさい、好きな人のユニフォーム着て」と。更衣室で江上さんのユニフォームを着て三屋さんのブルマを穿いて中田さんのシューズを履いて“一人全日本”という出で立ちで同ポジションの選手を外してそこへ入れられ、中田さんのトスが早過ぎて空振り、何もできなかった。写真を撮ってサイン貰って帰ろうとしたら山田監督が「オリンピック選手になりたいと思ったら明日からうちに練習に来なさい。次のオリンピックに出られるかもよ。」と言われ翌日から授業終わって部活やって19時から日立で練習を卒業するまで1日も休まず続け、トップレベルの環境にいることでたくさんのことを学び、本当に次のオリンピックのソウル五輪に出場できた。
余談だが当時バレー選手の人気は非常に高くて今は株で儲けているおじさんの川合俊一氏は本人曰くイケてた時代のバレンタインデーには2tトラック2台分のチョコレートを貰ったがちなみに去年は2個だった。
山田監督は毎日練習のやり方が違う。同じパターンの繰り返しはやらない。マンネリは慣れとなり進歩がなくなる。今日何をやるかわからないという緊張感が集中力を生む。これは様々なことに応用できる。
ソウルオリンピックの1か月前に監督から「リハーサルをやる」と告げられ仮想ソ連の男子コーチチームと対戦。結果セットカウント3-2で敗戦。すると監督が鋏とキリを持ち出しマネージャーにネットを鋏で切らせ、キリでボールに穴を開けさせながら「お前ら負けてもいいと思ったろ?ネットもボールも要らない。俺のオリンピックは終わり。リハーサルで勝てないと本番も勝てない。俺は本番と同じ気持ちで臨んだんだぞ。」
そしてソウルオリンピック本番、初戦フルセットの末19-17でソ連には勝ったが結果は4位。
あの時の苦しさに比べたらどんなことも大したことないと頑張れるようになった。
オリンピック出場という夢は叶えたので、今はもうひとつの夢である芝居や歌ったり踊ったり表現する仕事をしたいという夢を叶える為に「MOTHER(マザー) ~特攻の母 島濱トメ物語~」が6年目、積み重ねていけば大河ドラマにも出られるかもと夢を馳せながら歩んでいる。
そういえばいじめっ子男子4人組、ちょっと気になりますよね。
ソウルオリンピック出場が決まった時に日立の体育館にサインくれとやって来て、心の中で「よっしゃ~」とガッツポーズしながら一度は断ったが二度目にOKし、ファンクラブに強制入会させ会員番号1~4にして会費2000円もしっかりもらった。
彼らからよくよく話を聞くといじめているつもりは毛頭無く、大きいから少しからかっていただけだったそうです。頑張る原動力になったので彼らには感謝し、今でも仲良くしているそうです。
質疑応答では再び会場に降りて場内を歩きながら質問を受け、質問して下さった方の傍で答えるという観客密着型スタイルでお客さんはとても親近感を持たれたと思います。
和気あいあいの楽しい講演会でした。
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