都内で弊社お得意様ご主催の講演会で北原佐和子(きたはらさわこ)先生の「認知症介護 私の一歩」と題しての講演を聴いてきました。
プロフィールには載っていない部分を改めて自己紹介。アイドル歌手でデビュー、同期に小泉今日子さん、シブがき隊(布川敏和さん、本木雅弘さん、薬丸裕英さん)、薬丸裕英さんの奥さんの石川秀美さん、早見優さん、堀ちえみさん、松本伊代さん、三田寛子さんがいた。
並行して女優の仕事も。
そして月日を重ね年齢と共に役者としての役が変わって行く現実がある。子供を持たない自分には本当の母親の気持ちは理解できないというような順応できない自分がいる。そして女優という仕事を一生続けていけるのか、この10年深く考えるようになった。同時に「もし仕事が無くなってしまったらどうしよう」と不安にもなった。
でも女優として演じている時には女優業を大好きな自分がいる。ならば女優という仕事は辞めたくない。けれど忙しい時には寝る間も無いほどだが、それが終わると3か月も全く仕事が無いときもある。こういう時に「自分は必要とされていないのでは?私がいなくてもいいんじゃないか?」などと思い苦しい時間があったが、逆にその空き時間を使って何か出来ることはないかと考えるようになった。しかし10代からこの仕事しかやったことがないので手に職もなし。
そうしている時に介護に結び付く3つの小さな出来事があった。
1つ目は20代の前半に友人から頂いた障害者の方が作ったお皿、なんでもないお皿だったがなぜか温かく癒されたこと。
2つ目は大雨の日に出会った四肢麻痺の方。大雨の日、友人を車の中で待っていた時この方が傘を差して車の脇を一生懸命に歩いていたが全く傘の意味をなしてなくずぶ濡れ、そして大通りでタクシーを拾おうとしているが捕まらない、その姿を車の中から見ている自分は一体何をしているのだろう?車の中でこのままでいいのか?と自問し、居ても立っても居られず気が付くとその方の横に車を付け、「乗って下さい」と声を掛け助手席に回って手伝おうとしたら「手伝いは要らないです」とはっきり断られた。車に乗る際に掴むところが決まっているのかドアを掴み、シートを掴み懸命に乗り込んでいた。車中では色んな話をたくさんしてくれ「私はこのような体ですが神田まで通勤しています。でも通勤に時間が掛かってしまうので正味2~3時間しか働いていません。そんなことを週に2~3回やっています。」と話してくれほどなくご自宅へ着き、ドアを開けると傍にある金網にしがみつくように自身の体を支えながら家へと入られた。その姿を見、何て逞しいのだろう、それに引き替え自分は数か月仕事が無いだけで凹んでいる。もし同じ立場だったら四肢麻痺の方と同じように日々逞しく過ごせるのかと考えさせられた。
そして3つ目は友人の子供でダウン症のとても優しいてん君との出会いがあったこと。
3つとも遠い昔の出来事だがずっと忘れずにいる自分がいることに気付き介護の現場で働きたいとうようになった。
色々調べてまずはヘルパー2級の資格を取ることからだと思い取得。
次は実際に働くこと。しかしどこにどうやってアプローチしていいのかが全くわからない。施設の詳細がよくわかる「介護ナビ」という本を出していた友人に相談。
施設を探すに当たり条件を付けた。1つ目は入浴介助のない施設、2つ目は夜勤対応ではない施設、認知症対応ではない施設、且つ女優の仕事も出来る所。
今考えるとよくもそんな条件を付けていたなと自分でも呆れかえるようなこと。
なぜそんな条件を付けたのか?入浴介助の後に女優の仕事があると化粧がボロボロで仕事に行けない、夜勤対応は昼夜逆転し体を壊したり肌にも良くないと思い、認知症対応は全く想像もつかず意思の疎通が図れず無理だと思ったから。
こんな自分を引き受けてくれたのはたった一つの施設だけだった。入浴介助あり、夜勤対応あり、認知症対応の施設。全ての条件は却下され、ここしかなかった。こうして介護の世界へ。
民家を利用した施設、最初の3か月は掃除ばかり。「なんで掃除ばっかり?」と思ったが利用者の方々にとって大事な衛生管理だと気付かされ、この間介護日記を細かく付け読み返すことでたくさんの気付きや発見があった。
食事、散歩、入浴、排せつなどを介しての利用者の方々とのエピソード、うまくできた時や喜んでもらえた時の嬉しさは施設で直に利用者の方々と触れ合うことでしか実感できない。
我儘な条件を付け施設を探していた自分を恥じ、利用者の方々と真摯に向き合うことで良い時間を過ごすことが出来るようになり、生きているという実感、わかり合える喜びを得られた。
施設で働くようになり3か月経った頃、ある研修で「あなたは認知症になると思いますか?」と問いかけられ、ビックリしたのと同時に心の中で「ない、ない、あり得ない」と思っている自分がいた。さらに「自分がもし認知症になったら今の施設に入りたいですか?」と問われ、「いえいえ私認知症にならないから入りたくないです」と心の中で答えていた。その日の夜その言葉が頭を離れずなかなか寝付けなかった。自分が認知症にならない保証なんて無い、認知症になる可能性があるんだということを認めざるを得なかった。だとしたらもし自分がそうなった時にどう対応してもらいたいかということを顧みた場合に、より深く理解し尊重してあげられるように考えなければならないのだと。
そうすることで不安が軽減され笑顔に繋がる日々が得られるかもしれない。
最後に現在も「あなたは認知症になると思いますか?」という問いかけに対し深く思い悩んだ自分がいたことを忘れることなく施設で働いている。そして「これからも変わることなく忘れることなく生きていきます。」と笑顔で言われた。
講演が終わり北原先生と少しお話させて頂き、原稿はお持ちになり登壇されましたが全くそれに目をやることなく非常にお上手でしたので今回の講演が2回目だと聞き驚きました。正直な所女優さんですから。が、やはりご自身がやりたい、やろうと思われ、実際にやっておられるその実体験に基づいた話ですのでとてもリアルで非常にイメージし易かったのできっとお聴きになられた方々の心にも浸み込んだことでしょう。
介護の話もさることながら、自分が必要とされる人になる為、生き甲斐ややりがいを見つける為にどのように自分自身と向き合うべきかなど多くのことを教えられた。
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