神奈川県内で弊社お得意様ご主催の講演会で宮家邦彦(みやけくにひこ)先生の「地政学と日本の大戦略」と題しての講演を聴いてきました。
当日は台風接近に伴い暴風雨という予報で、電車の遅延など交通機関への影響が心配されましたが、ほとんど影響無く、宮家先生もテレビ朝日の「グッドモーニング」出演後、直接ハイヤーにてお入り頂けましたので、思いのほか早く到着されました。
おしゃれなハットにサングラスといういでたちで、背も高くとてもダンディな印象で、物腰も柔らかく、いかにも紳士で優しい先生です。
先生は横浜三ツ沢のご出身。
外務省ではアラビア専門(アラビア語)だったそうです。
今年に入り「地政学リスク(地政学的脆弱性)」という聞き慣れない言葉が今年何度か新聞に関連記事が出た。
ロシアがなぜクリミアへ侵攻したか? 経済的利益を超える地政学的利益が欲しかったから。
(地政学的脆弱性の例)
・イラク ティクリートは肥沃な真っ平な土地で自然の要塞が無い。 北からトルコ、東からペルシャ、西からギリシャ・ローマ、南からベドウィン。イラク戦争後2011にオバマが米軍を撤退させたことでイラクに「力の真空」地域ができてしまった。
・ロシア 北からは無いが東からフン族・モンゴル・中国など、南からムスリム、西からはヒトラーやナポレオン。 自然の要塞は無いがロシア人は敵と戦った。
・南シナ海(フィリピン) 1991/4ピナツボ火山爆発。 1991/11米軍基地(クラークとスービック)返還。 1992/2中国が領海法制定。 基地の返還で南シナ海に「力の真空」が生まれた。
2014に中国船にベトナム船が水を掛け、中国もそれに応酬、これが本当の「水掛け論」と笑いを取られた。(ちょっと驚きましたが外交官はユーモアが無ければいけないのだなと納得)
複数の重大クライシスが起きた場合、米はアジアではなく中東へ行く。
どうするか?
英国の地図を逆さまにすると日本とそっくりになる。
「島国同盟」のすすめ 。
日米同盟に加えオーストラリア、シンガポール、フィリピン、インドネシアと組み、大陸と健全な距離を保ちつつシーレーンを維持する。
今日本が中国に求むべきこと ①東アジア伝統文化と西洋文明の融合 ②巨大帝国ではなく、国民国家の志向 ③力による現状変更を止め国際社会への関与 そのために日本が行うべきこと。
「伝統」を守るには「変化」が必要。 「普遍的価値」で「保守」を「進化」させれば日本は生き延びる。 伝統的文化・価値と普遍性・合理性・国際性との融合こそが東アジアにおける日本の存在価値、と括られ、いくつか質問を受け時間一杯丁寧にお答え下さいました。
日本国とその子孫たちのために我々大人が今何をしなければならないのか、ということを私のような凡人には思いも付かない視点からわかり易く明確に提示され、内容の濃い視野が広がる素晴らしい講演でした。
川口で長年の弊社お得意様ご主催の講演会で山本一力(やまもといちりき)先生の「生き方雑記帳2016」と題しての講演を聴いてきました。
川口と言えば鋳物の街、そしてそれを踏まえた講演の冒頭の入り方は絶妙。
上京する直前の中学3年の頃だったと思うが、日活の映画で見た「キューポラのある街」ってどんな所なんだろうと思っていた。
当時日本中がこれから新しい国になるんだといって本当に頑張っていた。
高知も似たような街の雰囲気だった。
子供も大人も前に進むんだと思っていた時代だった。
そしてあの時代に育った人間は「人は一人じゃ生きてないんだ」ということを社会全体がしっかりと教えてくれた。
小学生の頃、やってはいけないこと、しなきゃいけないことを大事に大人が教えてくれた。
母しか居なくて自分と妹が母の細い稼ぎで市営住宅に暮らしていた。
名前は市営住宅だがバラックの長屋のようなもの。
でも皆同じようなものだったので負い目でも何でもなかった。
大人は朝起きてからずっと子供を気にしていた。
子供も安心して大人を頼ることができたし、信用することもできた。
今の社会は知らない人とは口をきいてはいけないという教育の流れになっていると聞く。
違うだろ!と思う。
これを当たり前にしていくと後に続いてくる子供たちは人を信用できないという社会で生きていくことになってしまう。
もう既に始まっている。
「弁え」はお互いが持つこと。
社会から、先生から教わった。
給食が一番のご馳走だった。
これも人が力を貸してくれたからこそ。
人が人を信用して生きていけた時代に他ならなかった。
母から念仏のようにいつもいつも「足るを知れ」と言われた。
生きていられるということがありがたいことなんだと。
そうして生きて行けば人を羨むことは無い。
時代がどう変わっていこうが変わらないものはきっとある。
親が子供に残せるものは「志」しかない。
美田でもお金でもない。
そしてこれは親でなければ子に残してやれないもの。
困った時に杖となる言葉、「負わなければいけない責任には法的な責任と道義的な責任の二つがある。間違っても道義的な責任を法的な責任で押し潰すな」と言われた。
一軒の家というものを考えた時に男が果たせる役と女が果たせる役は全く別物だと思っている。
男ができることはほんの少ししかない。
わかり易く言うと外で稼いできたもの全てをカミさんに預けて家庭を守ってもらう。
その役目においては親父。
もう一つ、家の柱となって家の憲法を家族に身をもって知らしめる。
この二つ以外の役目はカミさん。
従って一家の大黒柱はカミさんだと何の疑問も持たずにそう思っている。
男女同権、それはそれで良いと思う。
しかし断じて同質ではない。
女性でなければできないことは山ほどある。
同質であろうと思うことが無理がある。
母親の子を案じ続ける本能あるが故に子供は育っていくと思う。
ご自身の現在置かれている状況を赤裸々に語られ、折り合いが悪かった義母を親愛の情を込め実母のように「お袋」と呼び、義弟たちの環境を想い、ご自身のご家族が膝を患い歩けなくなるかもしれない「お袋」と一緒に暮らすことを決め、暮らし始めて色んなことが良い方向に変わっていき、その結果「天ぷらばあちゃん」が完全な家族になり、皆にとって大変良かったと話された。
いみじくも仰った「案ずるより産むが易し」。
これから日本で起こり得る家族の問題の理想的な解決方法の一つを提示されたのではないかと思った。
年代的に亭主関白の典型かと思いきや、全くそうではなく考え方が柔軟で女性、母の凄さを認め称賛し、男は絶対に勝てないと言い切る潔さ。
「足るを知ると同時に、知らない所で人が何かしてくれているということを弁えることが大切」と講演を締められた。
日本人とは、親とは、父とは、母とは、弁えるとは、足るを知るとは、痛み分けとは、など多くの不変で私たち日本人の誇りに通じる素晴らしいものを決して押しつけることなく自然に再認識させてもらえた素晴らしい講演でした。
低音で良く通る聴き易い声質、目を瞑ると情景が浮かぶ作家らしい秀逸な表現に包まれ、大変心地良く自然と心に響き染み入ってくるまさに「一力ワールド」です。
おしどり夫婦を絵に描いたようなご夫妻で、いつも通りご一緒に会場入りされ、奥様が甲斐甲斐しく先生の身の回りのお世話をされ、主催者の皆さん、そして私ごときにまでも大変気遣って下さいました。
山本先生は控室で講演直前に主催者の方々へ「どんなことでも講演の中で話して欲しいことがあれば仰って下さい」と言われ、いくつかリクエストを頂き、それを自然な形で、しかも即興で講演の中に取り入れられお話しされていました。
テーマが「雑記帳」とはいえ構成力はもちろん、その知識の広さのみならず深さもあり、直木賞作家の凄さを痛感しました。
都内で弊社お得意様ご主催の講演会で谷田昭吾(たにだしょうご)先生の「タニタの成功法則 ~タニタを世界No.1へ導いた“経営の秘訣”とは~」と題しての講演を聴いてきました。
まずは自己紹介。
「たにだ」となぜ濁るか?
豊田(とよだ)さんのトヨタが濁らず、同様にタニタにすると同じ八画になり末広がりにもなるから、あるいは左右のバランスを考えて濁点を取ったのではなど諸説ある。
「昭吾」は “吾”の五と口をゼロに見立て昭和50年生まれだからと創業者の祖父が名付けてくれた。
実はこの祖父が体重計を「ヘルスメーター」と命名した。
二代目は父。
講師と現タニタの関係は、3歳上の兄が三代目社長でともに筆頭株主。
①赤字からの脱出、②体脂肪計を創る、③社員食堂の誕生の3つの柱からなる講演。
①赤字からの脱出
創業はもっと古いが72年前の1944年に祖父が設立し、欧米のライフスタイルが日本にも浸透するだろうということで、当時はライターやシガレットケースの製造が中心で、OEMでトースターとごくわずかなシェアでしかなかったヘルスメーターの3本柱だった。
1983年に父大輔氏が社長を継いでから4期連続赤字で累損2億円、タニタは危機的な状態となりライター事業から撤退。
撤退するまでに、まず事業部制にして部門ごとの採算を透明化し赤字部門をあぶりだした。
次に一番辛い時期に「世界一」を目指すという大きな夢を掲げ、「目標設定」をした。
具体的に達成時期の目標設定はしなかったが「口に出した」。
これが一番大きかった。
そして最後に「体重計」から「体重」という事業領域へシフトした。
体重計メーカーから「体重とは何か?」を考えどのようにして人々が健康になるかをビジネスにしようと考えた。
ベースになった考え方は二代目の留学先でのアメリカで体験したことにある。
美術品が好きだったこともあり個人所有の美術館も多く巡り、オーナーがどうやって財を成したかを必ず訊いた。
そして船会社、鉄道会社などで成功した人たちが誰一人として船⇒鉄道⇒自動車⇒飛行機へと時代の変遷に伴いシフトし成功し続けている人がいなかったが、船だけ、鉄道だけと捉えるのではなく、「物流」と捉えていたら上手くシフトし成功し続けていたのではないか、だとしたら自社に照らしてみて何が大切なのかを考えた時に、「体重計」ではなく体重を基に健康を提案する事業へシフトすることこそが一番ではないかと、「体重計」から「体脂肪計」(今でこそ当たり前のように皆が口にしているが「体脂肪」は実はタニタが作った言葉)へと繋がっていった。
そして1990年にタニタ本社に「体重とは何か?」を知るべく「ベストウェイトセンター」(フィットネスクラブ)を作り、大赤字だったが2年後に業務用体脂肪計が誕生、当時50万円くらいした。
そして1994年に家庭用を4万5千円くらいで発売し、大きな夢を掲げて14年後の1997年にヘルスメーターのカテゴリで売上世界一を達成した。
②体脂肪計を創る
イノベーション理論に基づく成功するための5つの行動習慣。
1)つながる(=ネットワークする)
「ベストウェイトセンター」構想で肥満専門医とつながった。
2)質問する
肥満専門医に「肥満は体重ではなく脂肪」と言われ「脂肪って何ですか?どうやれば測れるのですか?」とわからないことを素直に訊いた。
3)関連付け
ヘルスメーターに脂肪計がくっ付けられないか?⇒くっ付けた・・・組み合わせが大事
自社の得意なものに何を関連付ければ良いかを考えた。
4)実験する
社長のアイデアをキャリアのある開発者に伝えた⇒「できるわけない」⇒先入観や固定観念の無い新入社員に任せてみた⇒2年で目途が立ち商品化された
専門家に無理と判断されても無理強いせず、仕方なく妥協し新入社員に任せたら「できるかもしれない」、「達成したい」と思ってくれ実験し、変革へとつながり商品化できた。
5)観察する
顧客の一番大きな不満から改善していく。
タニタの場合は分かれていた人が乗る部分と大き過ぎる表示部の不満をなくすため小さくしていき、現在はコードレス一体成形型へ。
タニタの製品を全て社長が使っていたので谷田家の風呂場には常に体重計が5~6台あった。
それが当たり前だと思っていたら友人の家に行くと1台しかなく、自分の家が異常なんだと知り驚いた。
③社員食堂の誕生
社員食堂を立ち上げた管理栄養士の方は、現在73歳(2016年現在)。
いくつもある指導法の中から1つだけ自分の生活習慣に取り入れ易い方法を選ばせ、意識して続けさせるというやり方をしている。
この管理栄養士の方も所属していたのが前出の赤字垂れ流しの「ベストウェイトセンター」。
1990年から9年続いたが交通の便の良い所に安いフィットネスクラブがたくさんでき、入会金30万円で高かったので集客できず役目は終わったということで閉鎖することに。
その時に過去、4期連続赤字最後の年黒字転換させるために、板橋から秋田へ工場移転する時に従業員が子供の学校のことなどもあり縁の無い秋田行きを断り、泣く泣くリストラをしなければならなくなった暗い失敗の過去があったため、一緒に仕事をしたい、絶対にリストラはしたくないという強い思いから働いていた管理栄養士の方々にそのままベストウェイトセンターを社員食堂に変え、移ってもらった。
そして2010年、1999年から11年かかって社員食堂のレシピ本が発刊され、タニタ食堂へとつながっていく。
社員の健康のためにできることをということで始めた事業が継続することで蓄積され、独自性に磨きがかかり注目され、現在の成功へと自然に導かれていった。
講演の最後の部分で創業者である祖父が「経営とは人間管理」(顧客も従業員も株主も人間)と書いた色紙を二代目に贈ったというエピソードを披露。
甘いマスクに物腰の柔らかな語り口、見るからに生まれも育ちも良さそうなお坊ちゃんで一見するとひ弱に見えるかもしれないが、一本筋の通ったしっかりした考えをお持ちで芯の強さを感じさせてくれるこれから期待の講師です。
今回も3つのパートを30分ずつ計ったかのような見事な時間配分。
それぞれ内容も濃く、タニタの自慢話ではない失敗も含めながら様々な困難を乗り越え現在に至る道程を熱く話された素晴らしい講演でした。
都内ホテルで長年のお客様ご主催の講演会で真田徹(さなだとおる)先生の「真田幸村 虚像と実像」と題しての講演を聴いてきました。
真田先生は真田幸村の二男(大八)の家系(仙台真田家)。
京都に疎開、伊達氏に拾われ奥州に下り何となく今まで家系が保ったという家。
長男は幸昌、ほとんど実績が無かったので10分もあれば話が終わってしまう。
しかしなぜか名前だけが残った。
今年のNHK大河ドラマ「真田丸」。
上田市の町興しでNHKに5~6年前から県を挙げて働き掛けを始め、県知事、各市町、町村長まで引き連れ「是非お願いします」と年に3回ぐらいNHK通い。
当初NHKはけんもほろろだった。
木で鼻をくくったように「その内いつか実現するでしょう」と言われ続けた。
そうこうしている内に急に「決まりました」と連絡が来た。
私自身はあまりやって欲しくなかったが行政は喜んでいて「私の力で」なんてみんなが言っている。
信州真田家は放牧で生計を立てていた。
馬はすぐ現金になったから。
山伏を調べるとほとんどが真田忍者だった。
ルーツである幸隆からの子孫たちの話。
上杉謙信、武田信玄との関わり。
魑魅魍魎、権謀術数の世の中だった戦国時代模様。
大河ドラマのタイトル「真田丸」とは?
大坂冬の陣の時の砦。
「真田丸」に引き付けて敵を叩く作戦。
簡単に説明すると狭い所で待ち構え、敵の大軍が入って来た所で鉄砲隊が一斉攻撃し、退却しようとしても後ろからどんどん来て退けず被害を拡大させる戦法。
徳川方の損害の7割が「真田丸」の戦いによってもたらされたと言われている。
実は真田はこの戦法を長野時代から何度も成功させていた。
大河ドラマの補足説明あり、独自の展開予想もあり。
手紙も古文書にも何も残っていないので証拠は無いが伊達政宗と真田幸村との間にもし幸村が家康の首を取れば天下は取れないが幕閣は押えられるだろうからその暁には厚遇するし、万一失敗しても幸村亡き後子女たちの面倒は看るという密約があったらしい。
おそらく事実だったと思う。
なぜなら正宗は本当に幸村の子女を4人も5人も引き取り仙台へ連れて帰り城まで与え仙台真田家として残しちゃんと面倒を看たから。
手紙に書いてあることは必ずしも事実ではなく、後世に残す為に意図的に書いたものが数多くある。
戦国武将たちの出自が天皇家に繋がるなどの嘘も当たり前だった。
そして嘘をつかれた方も「そうかそうか」みたいなことが往々にしてあった。
などなど。
幸村ファンはもちろん戦国時代や歴史に興味をお持ちの方はかなりマニアックではありますが十分楽しんで頂けると思います。
ヘビースモーカーのちょっとお茶目な先生です。
都内での弊社お得意様ご主催の講演会にて、舞の海秀平(まいのうみしゅうへい)先生の「夢は必ずかなう」と題した講演を聞いてきました。 登壇後、引退してから、解説業などを行うようになるまでの経緯をお話されました。
その後にはNHK大相撲解説での北の富士さんとのお話や、最近の大相撲界の話、現役時代の取り組みの話など、大相撲が好きな人にも面白く、あまり詳しくない人にもわかりやすいお話が盛りだくさん。
身振り手振りを交えながらのお話で、笑いもあり、話に聞き入ってしまうとても面白い講演でした。
その中でも、エピソードを2つほど紹介します。
1つ目は、相撲というものについて。 相撲はいわゆる普通のスポーツとは違い、伝統文化であり、伝統芸能でもあり、神事でもあるということ。
土俵で四股を踏むのも、昔は土の中に魔物がいるという考えがあって、それを追い出す儀式のようなもの。
スポーツは体重別が設けられているなど、いかに公平にやるかが大切だが、相撲はそういうものとは違う。
実は、行司がいなくても相撲は取れる。 行司の合図で立ち会うのではなく、力士の阿吽の呼吸で立つもの。
行司は力士が立ったのを見てから「のこったのこった」と言う。
ではなぜ行司がいるかというと、「神様と力士のつなぎ役」であるということ。
スポーツはいかに公平に競技できるかを大事にするが、相撲はお客さん優先で、いかに楽しんでもらえるかというところを大事にする。
だからこそ、横綱が変化したり、猫だましをして勝つと、お客さんは喜ばない。
逆に「なにやってんだ」って怒るわけなのだ、と。
2つ目は、舞の海さんが頭にシリコンを入れて大相撲界に入ったお話。
相撲界に入るには規定の身長があるが、当時の身長では数センチ足りなかった。
そこで有力な部屋に入れば口利きで通してくれるのではないかと考え、出羽の海部屋に入ったとのこと。
しかし一回目の新弟子検査では、身長が足りず落とされてしまった。 根回しをしてくれていないのか、と思ったが、あきらめられずに、身長を伸ばす方法を医者に相談した。
すると知り合いを紹介すると言われ、行ってみると「頭にシリコン入れてみる?」と。
「他にもそういう人いるんですか?」と聞いたら、「ううん、君が初めて」と言われた。
手術は頭に何本も麻酔を打ち、中身の詰まっていない袋状のものを頭皮の下に埋め込む。
そして、そこに何回かに分けてすこしずつ水をいれていくという方法。
新弟子検査の前、規定の身長まであと少しというところで、もうパンパンになってこれ以上入らないという状態になり、麻酔を打って無理やり水を詰め込んだ。
なんとか173センチになり、2回目の新弟子検査に行ったところ、そのときの担当が、第55代横綱・北の湖だった。 見ると全然身長の足りないような人をどんどん合格させていて、これならシリコン入れなくてよかったんじゃないかと思っていた。
だが、誰にもシリコンを入れたことを言ってなかったにもかかわらず、北の湖さんは「痛いだろう」って言ってくれた。
強面ですがすごく優しい人なんだそうです。
後日、親方になぜ一回目に根回しをしてくれなかったのかと話を聞いたら、 当時舞の海さんは就職の内定が決まっていたのに相撲界に入ろうとしていたので、 「この小さい体では相撲界に入らない方が幸せなんじゃないか」と思ったからだとのこと。
しかし検査に落ちて東京に帰って行ったと思ったら、頭にシリコンいれて帰ってきたと驚いたそうです。
あきらめずにもう一回受けようという覚悟が、本物だと思われたんだろうと。
舞の海先生は、もしかしたらシリコン入れなくても2回目は根回ししてくれたかもしれないと冗談交じりに仰ってましたが、シリコンを入れたことを後悔してないとのこと。
この痛みがあったからこそ頑張れたという部分も大いにあるそうです。 その他にも、対曙戦での三所攻めの話や、力士の給料や懸賞の話など、盛りだくさんでとても面白いお話でした。
相撲好きな方はもちろん、少しでも興味のある方には是非聞いてほしい講演です。(ゆ)
都内で弊社お客様のご主催講演会で大久保博元(おおくぼひろもと)先生の「私の野球人生」というテーマでの講演でした。
「たかが野球選手ですが聴いていただければ」と講演スタート。
「名前は言えませんが、三木谷さんは大変でした。こんなことにまで首を突っ込んでくるんだ、と思いました」と楽天イーグルス監督を辞めるに至った経緯を説明。
「嘘つかない、言い訳しない、人のせいにしない」を実践してきて今まで生きて来た。
長嶋茂雄氏エピソード。
茨城の大洗町出身だったので巨人を退団した時に当時1千万円丁度だった大洗ゴルフ倶楽部の会員権を買えと勧められ無理して購入。
1千万円もしたと購入の報告をしたら「1回か2回講演すれば買えるだろう?」と言われ長嶋さんは1回の講演料を500万円貰っているんだと驚いた。
3歳の時に父を亡くし実家が土建業だった母親に育てられたが、生卵1個を弟と分けて卵かけご飯で食べるような貧乏だった。
母方の叔父に小学生の頃「大人になったら何になりたいか?」と訊かれ「野球選手」と答えると「太平洋の中から10円玉拾うより難しい」と言われたが海で泳ぐとよく10円玉だけでなく100円玉も拾っていたので結構なれるんじゃないかと思っていた。
また、母も「お前がなれなかったら誰がなれんの?」と言ってくれた。
小学校1年の入学式から1日100回素振りしようと決め、1日も休まず6年間で1日平均500回は振った。
松井秀喜は1日1000回振ったと聞いて驚いていたら、イチローは1日2000球打っていた。
振った数、打った数がそのまま年俸に正比例していて納得した。
言い換えればバットを数振れれば誰でもなれる職業だと言える。
年号を語呂合わせで覚えることが苦手で母親に覚えられないと言ったら「母子家庭なんだから過去は振り返らないで前向いて行こう」と言われ勉強しなくていいんだと思った。
中学の時やくざの事務所に出入りしていたら親分に「日本一のやくざにしてやって下さい」と頼みに行ったり、高校の時に学校を辞めたいと言ったら「偉い!義務教育は終わってんだから」と言うような豪快な母親だった。
西武へ入団するまでの経緯、広岡さん、森さんとのこと、ジャイアンツへ行ってからの夢のような経験。
「嫌なことは全て運に変わる」という持論。
座右の銘は「我慢」だがTVを見ていてある女性タレントが「死ぬこと以外はかすり傷」と言っていたのを見ていいこと言うな、本当だなと思って今はこれも大事にしている。
ジャイアンツ時代のキャッチャーがピッチャーに出すサインエピソード、日本ハムの白井コーチのサードコーチャーズボックスでのここでは書けないこと。
長嶋さん、王さんの共通点、「威張らない」。
星野さんは威張るのではなく常に怒っている。
今回も今後どうするのか訊かれ、球団に残らないかと慰留された。
怒る反面、周りの人たちのことを常に気遣う星野さん。
現役引退後、ラジオのニッポン放送との解説者での契約の話。
1年目600万円で2年目には倍になるからと結んだ2年目の契約更改で「いくらぐらい上げてもらえるんですか?」と訊くと「このご時世だから10万アップで我慢してくれ」と言われた。
村田真一(現・読売ジャイアンツヘッドコーチ)氏の娘さんの死を目の当たりにし「人って死んじゃうんだ」と思いそこをきっかけに根底から考え方が変わった。
引退後運よく仕事に恵まれ結構稼がせてもらい天狗になった時期もあった。
それまではお金が安いだの、結果がどうのと下らない事を気にし過ぎていたかがよくわかり、この日以来今日死んでもいい人生を送ろうと決めた。
結果を気にせずやることをやり、出た結果を良しとすればプレッシャーは無い。
ハーバードの研究者が成功の可否は8割が「運」という調査結果を発表した。
ではどうやって「運」を呼ぶか?
まずは「明るい」こと。
失敗にめげずニコニコして次があるさと前に進める人のことらしい。
そしてこうしてこうやればこういう結果が出るからうまくいくと考えるのではなく、必ずうまくいくんだと良い結果が出る前提で物事を進められる人。
水戸商業の合格発表前日に母から「博元、お前受かっているからな、明日みんなで合格発表見に行ったら喜んだフリしろ」と言われたことがあった。
一昨日母に「裏口だったんでしょ?」と訊いたら「博元、それは墓場まで持って行くから」と言われた。
自分は学歴が無いので知らないことはもちろんどんな人の話でも興味がある。
選手には「義理と人情とやせ我慢」「人の失敗を笑うな」と言っていた。
2008年に西武の渡辺久信監督にバッティングコーチに呼ばれた時も年間2億稼いでいたが年俸3000万円でも「やるだけやってみましょうよ、ダメなら辞めればいいじゃないですか」と言われそれもメモして引き受けた。
きっとそういう所を見て下さって拾われたと思っている。
「メモ魔」を自認していて、どなたの話でも役立ちそうなことを全てメモし(確かに控室で私と話している時もそうでした)、一日の終わりに必ず小さなコーチ手帳の1Pにまとめる。
交感神経、副交感神経の話から石川遼選手の「なるほどエピソード」。
人を動かす上でも知識として必要。
講演の合間合間に聴衆の何人かに直接声を掛け会話したりして飽きさせない工夫。
監督にとって一番やらなければならないことはチームの士気を上げること。
今シーズンの巨人は士気が上がらず5位くらい、良くてAクラスで優勝は無いという予想。
もし外れて巨人が優勝し、私を街で見かけたら「デーブ、外れたじゃないか」と是非声を掛けて下さい、お詫びにご馳走に“なりますから”と笑わせることも忘れない。
水戸商業の後輩の横田真一プロに「どうすればプロゴルファーになれるか?」と訊いたら「毎日500球練習場で打って毎週2ラウンドすればなれます」と言われ、「そうか」と始めた。
1日1000球を365日毎日欠かさずやった。
そして週4ラウンドでスタートし週7ラウンドにした。
朝5時に起きて7時からラウンドして14時から東京ドーム行って、終わってフジテレビに入って終了後練習場で打ってという毎日。
食事もそこそこに睡眠もろくに取れず車中泊が当たり前の日々。
プロテストに受かるまでの壮絶な日々のこと。
質問にも丁寧に親身になって答えられていた。
ご自身が講演の中でも(謙遜されて)口にされる「バカだから、頭悪いから」という前提で様々な勉強、努力、気遣いなど人の何倍も努力してこられたからこそ西武ライオンズでのコーチ、楽天イーグルスでの二軍監督から監督へとたった12球団しかない内の1つのトップにまでなられたのだろうと容易に想像がつく。
特に若い人たちに聴いて頂き盗めるものは盗んで頂ければ先の人生の展望が開けるヒントになると思いました。
かくいう年上の私もまだまだ未熟ですので大変参考になりましたし、見習わせて頂かねばならないことが多々ありました。
やはり元スポーツ選手の講演は楽しいと再認識しました。
余談ですが後日大久保先生の新橋のお店「肉臓でーぶ」にお邪魔させて頂きました。
そこで偶然にもお客様として来られていた松木(安太郎)先生にお会いし、「先生」、「社長」となりしばしお話しさせて頂き楽しい再会となりました。
2月28日(日)に鹿児島県内で毎年開催頂いております主催者様の講演会で「笑いと人生」と題して林家三平(はやしやさんぺい)師匠の講演と落語を聴いてきました。
今年も「同行サービス」をご利用頂きました。
つい先日日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバー新加入の発表がありましたので三平師匠が新たにレギュラーメンバーになられたことはご存知の方も多いと思います。
さて、まずは講演部分。
何と登壇後すぐに客席へ降り聴衆の方々と和気あいあいのやり取り。
これで場内の雰囲気もあっという間に柔らかくしてしまう所はさすがです。
次におそらくナマの落語に接したことがある方がほとんどいらっしゃらないだろうと、落語や落語界についての解説を。
もちろん堅い内容ではなくちゃんとオチで大爆笑へと。
先代三平師(実父)から子供時分に教わった小噺をいくつか披露。
落語界に入るキッカケと入門まで。
落語界の“身分制度”について。
それぞれの“身分”での修行・仕事などの内容。
落語を演じる上での決まり事。
扇子や手拭いの使い方。
聴衆参加型の脳が元気になったり、若返るらしい手の運動を歌いながら楽しく会場一体となりやってみたり。
仕草を実演しながら「何を食べているか?」というクイズを出して笑いを取ったり、お客さんに舞台に上がってもらい実演して頂き場内を大爆笑に包み衣装替えのため10分間の休憩に。
いよいよ聴衆の皆さんお待ちかねの落語へ。
マクラ(落語に入る前の導入部分)で様々な楽しい話をしながら今日のお客様が何を求めておられるか、反応を確認しながら演目を決めるために探ります。
その中から一つだけご紹介させて頂きます。
海老名家の香葉子お母様と三平師匠の家での親子の会話。
香葉子お母様「三平、何か飲み物持って来て、ペットボトルでいいから」
三平師匠「(冷蔵庫の中を見ながら)お袋、“おーいお茶”でいい?」
香葉子お母様「うーん、少なくていい」
わからない方は置いて行きますので悪しからず。
この日の演目は三平師匠がまず東京の高座には掛けない「味噌豆」。
これは唯一先代三平師匠(お父様)から稽古を付けてもらい教わった演目なんだそうです。
お客様にはわからなかったと思いますが大変貴重な演目でした。
さすが爆笑王と言われた先代のご子息、先代三平師匠はじめ多くの落語家の師匠方やご家族の面白エピソードもあり、マクラでも落語でも大いに沸かせ巧みに場内を笑いの渦に引き込んでいきます。
私自身亡くなられた五代目(先代)三遊亭円楽師匠とは深い親交がありましたので、先代三平師匠のお話もたくさん聞いており、大変人柄が良く、偉い方にも若いこれからという人にも分け隔てなく接され、気遣い、配慮もさりげなく、決して悪口を言わず、いつも褒めてくれ後輩に自信を付けて下さる誰からも好かれる素晴らしい先輩だったと伺いました。
そのお蔭だけではもちろんありませんが当代三平師匠も実兄の現落語協会副会長の正蔵師匠も、先代とお付き合いがあった各界の名だたる大御所に可愛がって頂けているのだろうな、まさに「情けは人の為ならず」を実践されておられたに違いないと思いました。
講演と落語というなかなかお目に掛かれない組み合わせです。
きっと「いつもと違って新鮮で良いね」と言われると思います。
楽しい講演会にしたいと思われた時には是非候補に加えて頂ければ幸いです。
11月頃のこと。都内にて、フリーキャスターの伊藤聡子(いとうさとこ)先生のご講演を聴いてきました。
伊藤聡子先生と言えば!TBSひるおび!でコメンテーターを務められております。
ご存知の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか😊
今回「女性の活躍が日本を救う!」と題してご講演頂きました。
様々な企業を取材された事例をたくさんご紹介頂けるご講演のため、内容はオフレコ!
詳しくはご紹介できませんので、ぜひご講演をお聴きくださいませ!
また、地域活性の内容でも多くの実績がございます。
地域活性に関するご講演依頼もお待ちしております。
◆地域活性関係 ご講演テーマ
「地域から日本を変える!これからの企業のあり方」
「地域経済の活性化が、日本の元気を取り戻す鍵」
伊藤先生には今回初めてご挨拶させて頂いたのですが、とってもお綺麗で華があり、素敵な伊藤先生に見惚れてしまいました❤
控室でも気さくにたくさんお話してくださり、とても楽しかったです。
伊藤先生は、きき酒師の資格をお持ちで、懇親会へのお誘いも多く、お時間許す範囲内でお付き合い頂いております。いつもありがとうございます❣
またお会いできる日を楽しみに、日々頑張りたいと思います!
皆様からのお問い合わせ、ご依頼、お待ちしております。
(文・スタッフY)
都内ホテルで新規主催者様の講演会で為末大(ためすえだい)先生の「ハードルを越える」と題しての講演を聴いてきました。
冒頭で新国立競技場の話、今取り組んでおられるいくつかのプロジェクトの紹介。
競技人生を通じ学んだ三つのこと。
①自分でコーチをする(セルフコーチング)
大学へ進学するに当たり「コーチを付けないなら入学する」という条件を出した。
生意気なヤツだと言われたが、自分でコーチをしてみたい気持ちがとても強かった。
そして引退するまでこれを通した。
球技は得意ではなかったが子供の頃から足が速かった。
当時は足が速いと野球に誘われた。
が、バントやればバットに当たらない、外野を守らせれば球は取れなかったので出番は代走が主。
ほとんどホームまで還るので弱いチームが結構勝ってしまい市内でベスト4くらいまで行ってしまう。
すると審判団が鬼ごっこみたいで野球じゃないと翌年から1試合に盗塁は1回までとルール変更。
途端に「為末要らない」とクビ⇒陸上部へ。 (さらに…)
都内で弊社お得意様ご主催の講演会で奥村幸治(おくむらこうじ)先生の「プロ野球チームに見る強い組織のつくり方と夢を実現させるためのセルフマネジメント」と題しての講演を聴いてきました。
決して試合に出ることのないバッティングピッチャーを4年間。
プロ野球の経験なし。
身長168cmと小柄、教え子のマー君(田中将大投手)は188cm、体重95kg。
7球団のテストを受け、オリックスにバッティングピッチャーの枠なら、と採用してもらった。
バッターに気持ち良く打たせるのが仕事。
4~10月のシーズン中にバッターに投げる時間は1日20分。
1分間に6球以上、毎日150球以上投げる。
これで年俸は少なくて600万円、ジャイアンツは1000万円以上とも。
翌年1つ年下のイチロー選手が入団してきた。
彼との出会いがなければ今の講演をさせて頂いている自分は無い。
昨年は160回の講演。 (さらに…)
都内で弊社のお客様ご主催講演会で池谷裕二(いけがやゆうじ)先生の「脳を知って脳を生かす」というテーマでの講演を聴いてきました。
普段は実験中心の生活で今日が今年初めての講演会。
忙しくてなかなか講演ができないそうで弊社含めごくわずかの仲介業者からの依頼のみ請けている。
「脳の専門家、言い換えれば「脳バカ」で元来人前で話すのが苦手、講演も下手」と謙遜。(実は抜群に上手いしとても面白い) (さらに…)
都内ホテルで弊社新規のお客様ご主催講演会で片山善博(かたやまよしひろ)先生の「真の『地方再生』と日本の将来」というテーマでの講演でした。
お客様は観光業に従事されておられる経営者の方々でした。
片山先生は余裕を持って会場入りして下さり控室で主催者のトップの方々との様々な会話の中で共通のお知り合いで片山先生の同級生の方から子供時代の先生のあだ名が「おっちん」 (さらに…)
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日本綜合経営協会は、全国47都道府県を対象に講演依頼に基づく講師派遣や、企画提案などを行なっております。
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